ケアエコノミーとは
ケアエコノミーとは、「人が生活する上で不可欠なケア労働に関する経済活動」のことだ。ここで言うケア労働には、育児や、高齢者のお世話、障害者の介護、炊事洗濯といった家事が含まれる。
こういったケア労働は家庭内において行われる限り、いくら働いても賃金は得られない。また、介護士や保育士として家の外で働く場合、有給ではあるが、その責任の重さに比べて、賃金は安く抑えられている場合が珍しくない。ケア労働とは、人々の生活を維持し、経済を発展させる上で欠かせない労働、つまりエッセンシャル・ワークだが、安く見積もられがちで、時には無償で行わざるを得ない労働なのだ。
ケアエコノミーとアンペイドワークの関係
ケアエコノミーを語る上で避けて通れないのが「アンペイドワーク(無償労働)」の問題だろう。
アンペイドワークとは、労働として認識されながらも、または労働と認識されることなく、報酬を支払われない労働のことだ。特に、家事、育児、介護、などのケア労働が家庭内でなされるとき、アンペイドワークになりがちだ。アンペイドワークは現在、女性に負担が偏っている。
国際労働機関(ILO)の調査によると、女性は男性の2倍以上の時間、無償のケア労働を行なっているという。また、先進国であっても、家事や育児などのアンペイドワークに携わる時間は男女で大きな開きがあり、男性が平均2時間16分のところ、女性は4時間40分と倍以上の開きがあることが明らかになった。(※1)
このように女性が男性に比べてアンペイドワークを行いがちな理由は、「男性が外で働き、女性が家事をしている」からだと思われがちだが、そうではない。2021年、日本の総務省統計局が行った調査では、共働きで6歳未満の子供がいる夫婦のうち、夫の家事関連時間は2時間なのに対し、妻の家事関連時間は6.5時間と女性は実に約3倍の時間を費やしていることがわかった。(※2)

「ケアワークは女性が行うべき」という性別役割分業意識は根強いため、女性は外で働いても、いなくても、家事・育児・介護といった無償のケアワークの責任者になりがちなのだ。アンペイドワークはこれまで、実質的に労働であるにもかかわらず、「母親の愛情」「家族だからして当然」といった風潮によって、経済と切り離されて論じられてきた。
しかし実際は、アンペイドワーク、ケアワークは、経済と切り離せない関係にある。専業主婦・主夫家庭の場合は、専業主婦・主夫がご飯を作り、労働者の健康を維持することに貢献したからこそ、労働者は経済的価値を生み出すことができている。労働者を雇用している事業主は、専業主婦・主夫の無償の働きにフリーライドしている、と見ることもできる。また、子供を産み、育てるということは、労働者を生み出し、育てることとほぼ同義であるため、ケアワークが、経済的利益を生み出しているという側面もある。
それにも関わらず育児・家事・介護というアンペイドワークは経済的価値がないものとして扱われてきた歴史があった。例えば、経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、家事労働、ケア労働を「経済的利益が生み出すもの」とは考えていなかった。(※3)経済学の父は、育児・家事・介護といった家庭内で主に女性が担ってきた労働を、労働と見做さず、経済にも貢献していないと捉えていたのだ。
ケアエコノミーは、そういった軽視されてきたケア労働の価値を再評価し、経済成長の基盤を支える重要な要素として再定義し直す言葉だ。
換言すると、「これまで無償または安価で行うことが当然とされ、軽視されてきたケア労働」を「大切な労働だからきちんと評価し、適正価格を支払い、持続可能にしよう」という思いを含んだ言葉がケアエコノミーなのだと言えるだろう。
ケアエコノミーの問題点
ケアエコノミーという言葉が着目されるに従って、現在のケアエコノミーにはさまざまな問題があることが浮き彫りになってきた。以下に主な問題点を示す。
1 性別役割分業による女性への負担の偏り
これまで見てきたように、ケア労働の多くは女性が担っている。共働きであっても、女性が家事・育児をメインで行うことが多く、それゆえ日本の女性の睡眠時間が日本一短いことはよく知られている事実だ。また、女性が家事・育児をメインに行う結果、育児によって離職につながり、女性の生涯年収が大きく下がることも珍しくない。無償のケア労働の負担が女性に偏ることで、女性の貧困が加速する流れになっている。
2 ケア労働の過小評価・低賃金
ケア労働は、しばしば「愛情から行なっていること」や「自然な役割」として見なされ、それゆえ経済的価値が低く見積もられる。その結果、ケア労働者は低賃金で働かされることが多く、労働環境も不安定だ。保育士や介護士などのエッセンシャル・ワークが低賃金であることはよく知られている。いずれも女性が多い仕事だ。
『失われた賃金を求めて』(タバブックス)では、「女性の仕事」と見なされる仕事は、その責任や労働の重さに比べて、賃金が低くなりがちだ、と指摘している。例えば、医師は、ほとんどの国で高賃金かつ男性が多い仕事とされているが、ロシアでは女性の割合が高く、高賃金な仕事ではない。プログラミングの仕事が世に出始めた頃、プログラミングは「女性でもできる簡単な仕事」だと思われていた。ゆえに、低賃金だった。しかし、プログラミングの分野に男性が進出すると、途端に重要な仕事だと見なされ、賃金は上昇した。(※4)
ケア労働は従来女性が無償で行なってきた仕事であり、軽視されがちな仕事だ。それゆえ、有償になったとしても、労働者の大半が女性の場合、不当に低い賃金が支払われることが多いのだ。
3 劣悪な職場環境
介護士や保育士などのケア労働は、多くの場合、過酷で責任重大にも関わらず、社会的評価も低く、賃金も不当に安い。志を高く持って入社した場合でも、あまりの待遇の悪さに離職する人も少なくない。また、やりがい搾取が横行している職場もあり、不当な賃金しか支払われていないと認識しつつも、やめられないケースも多い。
ケア労働の中では比較的高い給料の看護師に関しても、命を預かる仕事の割に医師などと比べて賃金に大きな開きがある。職場環境も劣悪であることも珍しくないため、看護師の資格を取ったけれど、離職し、別の仕事に就く人もいるほどだ。
労働に見合わない賃金や劣悪な職場環境、社会的評価の低さなどにより、離職率が高いこともケア労働の問題の一つだろう。
4 グローバル・ケア・チェーン
グローバル化が進むことによって、世界各国のケア労働者がより豊かな国へと移動して働く現象が起き始めている。この現象を「グローバル・ケア・チェーン」という。
日本では近年、海外に出稼ぎに行く若者の話が話題になっている。多くは、飲食店や農作物の収穫などの仕事に就くが、中には看護師の資格を活かして海外に出稼ぎに行く人もいる。日本の看護師の資格がそのまま海外で使えるわけではない。しかし、看護師の経験を活かして、看護助手などの仕事をすることはできる。日本からオーストラリアに移住して看護助手になった元看護師の女性で、日本で得ていた収入の二倍の収入が得られたと述べる人もいる。
一方、日本はかつて、フィリピン人の看護師を積極的に受け入れる準備をしていたことがある。これまで数百人のフィリピン人を看護師として受け入れた。しかし、2023年には、日本の看護師を目指すフィリピン人の人数は17人で過去最低を記録した。(※5)希望者低下の一因は、日本で提示できる給与が諸外国と比べて魅力的でなくなったことが関係しているだろう。
このように、高い給与が得られる国へと、ケア労働者が移動する現象が起きており、中には、「移民労働者を低賃金で働かせる」雇用主も存在している。多くの国で、移民ケア労働者の権利保護が十分に行われていない。言語の壁や法的知識の欠如、就労ビザの制限などが、移民労働者の労働条件をさらに悪化させる要因となっている。
また、ある国の労働者が、高賃金を求めて移住することは、自国のケア労働者が減ることを意味する点にも注意が必要だろう。移民労働者が母国を離れて働くことで、その労働者の家族が受けるケアが不足し、いわゆる「ケアの空洞化」現象が発生する場合もあるのだ。
さいごに。持続可能なケアエコノミー実現に向けて
ケアエコノミーは、社会の持続可能性を支える重要な柱の一つだが、現在は、さまざまな問題が残っている。
持続可能で公正な社会を実現するためには、性別役割分業を解消し、男性もケア労働の積極的に参加できる社会を目指す必要があるだろう。また、自国のケア労働者または移民のケア労働者にとって魅力的な労働環境を整え、ケア労働の空洞化を防ぐ方法を模索する必要もある。
さらには、テクノロジーを使ってケア労働の負担を減らすことも必要だろう。ロボットによる介護支援技術の開発は、介護従事者の負担を大幅に減らす可能性がある。
ますます高齢者が増えていく日本社会において、持続可能なケアエコノミーを作り出すことは、急務だと言えそうだ。
参考記事
※1 国際女性の日ILO新刊:世界中の労働市場で幅広く残る大きな男女格差|ILO
※2 我が国における家事関連時間の男女の差~生活時間からみたジェンダーギャップ~|総務省統計局
※3 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話』カトリーン・キラス=マルサル著 高橋璃子訳(河出書房新社)
※4 『失われた賃金を求めて』イ・ミンギュン著 小山内園子・すんみ訳(タバブックス)
※5 日本の看護師を目指すフィリピン人の応募数は過去最少|YOLO WORK
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