「闘鶏」禁止を米州人権委員会が支持。動物の権利と伝統文化、どちらが大事?

2024年6月、米州人権委員会はコスタリカにおける闘鶏禁止に対する提訴を却下した。コスタリカで闘鶏が禁止されたのは1922年。2017年になると、闘鶏をふくめた動物虐待の禁止が定められた。現在、闘鶏の開催にかかわった者には3年以内の禁固刑、観客として参加した者には罰金もしくは禁固刑が課せられる。

しかし、闘鶏はコスタリカの古代文化に根ざしており、数多くの団体や個人に支持されてきた。闘鶏禁止が提訴された背景にも、闘鶏を文化とみなす意見がある。動物の権利やアニマルウェルフェアを主張するとき、伝統文化との対立は時に避けられない問題なのだ。

闘鶏とは

闘鶏とは、リングでオスのニワトリ同士を戦わせる競技のこと。ヨーロッパ、中国大陸、東南アジア、そしてアメリカ大陸と、世界中で長い間行われてきた。最も古い歴史は、約4,000年前のインダス文明の頃までさかのぼるといわれており、その遺跡からは、当時すでに闘鶏が行われていたことを示唆する出土品が発見されている。

現在は、人々の娯楽の場やギャンブルの場となっている。試合は数分から長くて30分、どちらかの鶏が死亡もしくは戦闘不能状態になるまで続く。その残虐性の高さから、各地で違法化が進められてきた。

闘鶏が問題視される理由

闘鶏が問題視される理由

闘鶏には、主に3つの問題が存在している。

01. ニワトリが動物として生きる権利の侵害

前述のとおり、闘鶏はどちらか一方が死亡もしくは戦闘不能状態になるまで続けられる。足には鋭利なナイフが取り付けられているため、勝った鶏も無傷とは言い切れない。

まだ命があったとしても、戦闘不能になった鶏は食用となるか生きたまま破棄される。また、足がしばられた状態や袋に詰められた状態で道端に放置され、そのまま亡くなってしまうこともあるという。このように、人々の娯楽のために動物の命が軽視されていることは非常に問題視されている。

02. 人間の命の危険性

ニワトリの足につけられる武器で、飼い主らが怪我もしくは死亡する事件もたびたび起こっている。2020年のインドでは、飼い主が闘鶏用のニワトリともみ合いになった際、そのナイフが男性の首に刺さり死亡した。さらに同年のフィリピンでは、違法闘鶏を取り締まろうとした警察官の動脈に刺さり、大量出血で命を落とした。闘鶏は、ニワトリだけでなく周囲の人間も命の危険をさらすことになる。

03. 他の生物への影響と密漁

闘鶏で使用されるナイフは、ウミガメの甲羅から作られることもある。このためにウミガメが犠牲になっていることや、さらに甲羅が密漁によってとられているという事実も見逃せない。絶滅の危機に瀕しており、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストにも載っているウミガメが、一時の娯楽のために密漁され犠牲になっていることは大きな問題である。

動物の権利と伝統文化の対立

動物の権利と伝統文化の対立

コスタリカでは、闘鶏禁止をめぐって動物の権利保護派と現地の文化保護派で意見が分かれている。闘鶏ブリーダー協会は2017年に制定された動物の保護を目的とした法にたいして、闘鶏の開催は「文化的伝統」であり「人権」でもあると抗議した。

これにたいして、米州人権委員会は異議をとなえた。闘鶏の禁止は「健全な環境の権利や動物の保護といった合理的な目的を追及するものであり、雄鶏の保護に必要だ」と主張。闘鶏ブリーダー協会の提訴をしりぞけた。

今回のように、動物の権利と伝統文化が天秤にかけられるのは珍しくない。人間にとって動物は、食料として、ガスとして、そして娯楽の対象として必要不可欠な存在だった。

そのなかで動物の権利が尊重されはじめたのは、1975年にピーター・シンガー氏が著した「動物の解放」が出版された頃だ。この著書でピーター氏は、生物種が違っても動物にたいして人間と同様の配慮をするべきだと主張。その後徐々に人々のあいだにも、この考え方が浸透していった。

しかし、畜産業や農業、そして闘鶏など動物をもちいた競技や賭け事は、各地域の歴史や文化、そして現地の人々の生活との関わりも深い。そのため動物の権利保護を推し進めるとき、文化保護の観点から反対の声が出てくるのは避けられない。例えば日本では、捕鯨への非難の声と捕鯨を文化としてとらえる価値観が対立している。

闘鶏がなくならない理由

動物の権利が重視されるなか、各地で取り締まりが進められているが、合法の競技として開催されている地域もあれば、闇営業をしている競技場もある。例えば、タイ・フィリピン・インド・メキシコが有名だ。興味本位で訪れるのか、現地には観光客の姿もある。

闘鶏がなくならない背景にあるのは、伝統文化としての重みだけではない。娯楽としての人気の高さや、ギャンブルによる莫大な収益も存在している。2017年にタイの旧正月に合わせて開催された際には、優勝した鶏に250万バーツもの値がついた。当時のレートでは、日本円にして約800万円である。このように闘鶏が各地で続いているのは、人々が日常とは異なる強い刺激と興奮を求めていることが大きな要因となっているのだ。

日本の闘鶏事情

日本の闘鶏事情

闘鶏の問題は、日本人にとっても他人事ではない。現在は北海道・東京都・神奈川県・福井県・石川県で闘鶏が禁止されているが、高知県では認められている。高知県における闘鶏は江戸時代に始まったとされており、毎年行われる「正月場所」は満員になるという。

しかし、なかには秘密裡に闘鶏を行っている地域もあり、大けがを負ったり命を落としているニワトリは多く存在している。2022年には、闘鶏で傷ついた鶏の保護を目的としたクラウドファンディングが実施された。寄付の募集ページには、闘鶏によって激しく被害を受けたニワトリの写真が載せられており、闘鶏の過激さを示している。

さいごに|動物の権利と伝統文化は両立できるのか

水族館・動物・サーカスなど、動物はたびたび人間の娯楽に用いられてきた。しかしその関係性は、かならずしも動物の権利のはく奪に繋がっているとはいいきれない。例えば、合法的に行われている狩猟では、ハンターが収めたお金を現地の動物の生息環境保護に使用する。1匹が犠牲となることで、他の動物が守られていくという仕組みだ。賛否両論が存在しているが、一部の地域にとっては多くの動物の生息地を守るためには欠かせない取り組みだとも考えられている。

一方で、闘鶏のように一方的に動物が犠牲となってしまうケースもある。動物保護の観点から虐待につながる産業が禁止されていくケースも増えてきたが、伝統文化であるという理由で法や条例に反対する声もある。伝統文化を保護するために動物が傷ついて良いのかと聞かれれば、多くの人が首をかしげるだろう。スペインで長らく親しまれてきた闘牛でさえ、反対派が優位になってきている。

実際に特定の文化とともに育ち生活をしてきた人々と、外側から非難の声をあげる人々のあいだには、その伝統文化にたいする重要性についてギャップもあるだろう。ただし、伝統文化という盾を構えて、娯楽やそこから生まれる莫大な収益のために、動物の命の軽視を認めてもよいのだろうか。慎重に対話を進めていく中で、動物も人間も豊かに娯楽を楽しめる社会になることを願う。

【参考サイト】
Costa Rica’s cockfighting ban upheld by Inter-American Commission on Human Rights|Humane Society International
WHAT IS THE LEGALITY OF COCKFIGHTING IN COSTA RICA?|Legalitylens.Com
Indian man dies after getting attacked by his rooster on their way to a cockfight|CNN
Police officer killed by rooster while breaking up cockfight|CNN
高知)燃えよシャモ 安田で闘鶏|朝日新聞

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