サーキュラーエドノミー®とは?江戸時代から学ぶ、サステナブルな社会のあり方

サーキュラーエドノミー®とは

サーキュラーエドノミー®は、Edo(江戸)とEconomy(経済)を組み合わせた造語で、限られた資源の中で豊かな社会を形成していた江戸時代 の知恵を、現代の社会の諸問題に対するアプローチに活用しようという概念である。

長期間に及ぶ鎖国の影響もあり、江戸時代は国内の資源が限られていたが、その中でも自然の恵みを活かして高度な文明を構築していた。そんな江戸の町は当時世界最大である100万人という人口を誇り、技術革新やグローバル化により、物質的には十分すぎるほど満たされている現代人よりも心豊かに暮らしていたと言われている。

明治維新以降、日本では西欧の文化や考え方を積極的に輸入し始めたことにより、産業の勃興や資本主義によって経済が発展し、人々の暮らしは便利になっていく。しかし、大量生産・大量消費・大量廃棄のうえに成り立つ経済活動は、生物多様性の喪失、資源の枯渇など地球環境に悪影響を及ぼし、ヒトの暮らしや健康も蝕むようになった。

この問題を解決するため、資源を循環させる「サーキュラーエコノミー」の必要性が叫ばれているが、この循環型の経済活動はまさに限られた資源のみで暮らしていた江戸時代そのものであると注目を集めている。ただ、江戸の暮らしをそのまま甦らせるのではなく、アップデートして現代に合った形で取り入れようとするのがサーキュラーエドノミー®の考え方である。

江戸の循環型社会

産業革命以降、化石燃料を活用することで世界は人口や経済の規模を急速に膨張させてきた。しかし、それにより地球温暖化をはじめとする数々の問題が徐々に浮き彫りになり、これまでの経済活動を見直そうとする動きが強まっている。

その対策として、従来のリニアエコノミー(直線型経済)から、サーキュラーエコノミー(循環型経済)への転換が求められている。サーキュラーエコノミーの推進団体であるエレン・マッカーサー財団は、サーキュラーエコノミーの原則として、「無駄・廃棄と汚染のない世界をデザインする」「製品と原料を使い続ける」「自然のシステムを再利用する」の3つを挙げているが、江戸の社会はこの原則にも見事に合致している。

 江戸時代は主に、太陽の光、水、植物など、自然から与えられた恵みによって、ほとんどの物資とエネルギーをまかなっていた。また、幕府が鎖国政策を採用していたため、当時は国内ですべての資源を調達する必要があり、自ずとリサイクルやリユースが生活に根付いていており、あらゆる物質やエネルギーが循環する社会が成立した。

一体江戸の人々は、どのように限られた資源を活用しながら暮らしていたのだろうか。

江戸の知恵 ①省エネルギー対策

現代では、夏の猛暑を凌ぐ方法として冷房や扇風機が一般的に用いられている。一方で、そのような電化製品がなかった当時の人々は、様々な工夫を施しながら暑さ対策をしていた。例えば、夕方になると玄関先に打ち水をし、縁台を出して涼をとっていたようだ。また、家の中に風を通すことができる住宅設計の採用や、すだれやよしずを利用することで日射を防いで風だけを通す工夫がなされていた。

さらに一説では、江戸でよく見られた泥道が天然のエアコンの役割を果たしていたとされる。当時から甲州街道などで道路が舗装されていたことから、舗装技術はあったことがうかがえるが、江戸の町では舗装せずに泥道のまま保つことが多かった。それは空調を行うことが目的ではなかったにせよ、結果として気化冷却が起こり、町を冷やしていたようである。

このように江戸時代は水や風などの自然の力を借り、知恵や工夫を凝らしながら、”エネルギーゼロ”でも快適な生活を送っていたのだ。 

江戸の知恵 ②「もったいない」を徹底

江戸のリサイクル

ケニア出身の女性環境活動家ワンガリ・マータイ氏が、2005年の来日時に日本語の「もったいない」に感銘を受けたことから、環境活動で大切な3R—Reduce(ゴミの削減)・Reuse(再利用)・Recycle(再資源化)をたった一言で表すこの言葉は、「Mottainai」として世界中で知られるようになった。

少ない物資の中でどう生活するかを常に考えていた江戸時代の人々の生活には、この「もったいない」精神が当たり前のように根付いており、そこから生まれた当時のアイデアは数多くある。

着物の再利用

貴重で高価な着物は古着が基本で、江戸時代には古着屋が多数存在していたようだ。たくさんの人々によって何度も着古されたあとは、おむつや雑巾などに再利用。さらにその後はかまどなどの燃料になり、残った灰は農業の肥料等に活用されていたという。

修理職人

鍋や釜、陶磁器などを修理する鋳掛屋、提灯や障子の張り替え職人、下駄の修理や歯の交換を行う職人など、江戸の町には壊れたものを修理するリサイクル職人がたくさんいた。壊れたらすぐに買い換えるのではなく、今あるものを修理しながら大切に使っていたようだ。

リサイクル業者

あらゆる物を資源として活用していた江戸時代では、さまざまなジャンルの買取業者が点在していた。灰買いや下肥問屋は、農業の肥料として再利用できるかまどの灰や人間の排泄物(下肥)などを買い取って販売。また、古紙再生が基本であったことから古紙も買い取られており、今ではゴミとなるようなものでも当時は徹底的にリサイクルされていた。

江戸の知恵 ③資源の循環

現代のように下水道が完備されていない江戸時代では、し尿はそのまま放置すると生活に支障が出る上、感染症の発生源にもなりうることから、肥料として活用されていた。しかし、し尿を未処理のまま肥料として使用した場合、アンモニア等の有害なガスによって作物に悪影響を及ぼす。そこでし尿を熟成させ肥料へ変える「肥だめ」というシステムが考案され、し尿が安全かつ衛生的に処理されることで有効活用されることとなった。

し尿だけではなく、家庭から出るかまどの灰や雑木林の落ち葉なども肥料として利用され、また米の収穫後に残った稲わらは、編み笠や蓑(みの)、ぞうり、家畜のエサ、茅ぶき屋根など、さまざまな形へと姿を変えていた。植物由来の製品も使えなくなったら燃料として利用し、最後は肥料へと活用されるなど、資源の循環を徹底的に行ってきた。

あらゆるものを資源として利用して循環させることで、資源や物質の制約がある中でも日々の生活を豊かにすることができていたのだ。

成熟した地域コミュニティ

寺子屋
出典:東京都立図書館

江戸時代は資源の循環利用や自然との共生だけでなく、豊かな社会コミュニティを形成したことでも注目されている。

例えば、設備や教育を地域や隣近所の住民同士で共有していたこともその一つだ。江戸時代の町民の大半は、長屋暮らしであったため、井戸やゴミ捨て場、トイレなどは共同であり、人々は互いに協力しながら管理していた。また、読み書きやそろばんを教える庶民の教育施設「寺子屋」が設置され、子どもの教育も地域内で共有・分担していた。使用する教科書は兄弟親類の間で長きにわたって使い続けられ、およそ100年間使用された例もあるようだ。

食においても、「三里四方」という考え方が人々の間に普及しており、自分から四方(東西南北)に三里(約12キロメートル)以内の範囲でとれた野菜を食べると健康でいられると考えられていた。これは、現代の「地産地消」の考え方に通ずるものがある。

使うものや食べるものの大半は地域内で作られ、経済も藩の中で完結することが当たり前だった江戸時代。生活面においても、人々は地域の中で互いに信頼できる関係性を構築しながら暮らしていた。このように身近な人や場所を大切にしながら生きることで、暮らしを豊かにするシステムを定着させることができたのだろう。

江戸の社会から学べること

 産業革命以降の急速な技術の発展により、今では24時間365日どこにいてもさまざまな物資や情報が手に入り、誰とでも繋がれるようになった。しかし、人間は本当に豊かになったのだろうか。資源を無駄遣いし、地球環境を壊し、身近なコミュニティを希薄にし、「今さえ、自分さえ良ければいい」と考えながら生きることを、人間は本当に望んでいたのだろうか。

今より多くの制約があった江戸時代の人々が知恵やアイデアを絞り、季節を感じながら自然と共存し、地域とともに送っていた心豊かな生活には、現代に生きる私たちが忘れつつある「そこに在ることの尊さ」が詰まっている。

さらに、現代社会が抱える問題に対し、その必要性が叫ばれる「サーキュラーエコノミー」が、250年ほど前の日本で既に成り立っていたというのは、誇るべき事実だろう。失ったものを取り返すことはできず、過去に戻ることもできないが、江戸の循環型社会からアイデアを学び、アップデートすることで今の暮らしに取り入れることができるか、まずは生活者の目線から考えていきたい。

参考記事

循環型社会の歴史|環境省
江戸の暮らしに学ぶ、新しい循環型社会のあり方|三井住友フィナンシャルグループ
「エドノミー®」の3つの原則
江戸のリサイクル業|お江戸の化学

サーキュラーエコノミーに関する記事


新着記事