本連載では、生産者を訪ねる取材記事と、そこから広がる食卓での物語を交互にお届けしている。
今回は、小麦の畑作と食品加工を手がける前田農産食品の「取材後記」として、小麦粉と酵母が織りなす横松家のパン作りの風景をたどってみよう 。
ー編集部よりー

ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、なんだかワクワクしてきたのだった。
そこで、いちごのショートケーキができるまでの旅をすることにした。材料の生産者を訪ねてみよう。どんな人が、どうやって生産しているのか。全員の顔を思い浮かべながら、集めた材料で、最後にとびっきりのケーキを焼くつもりでいる。
さあ、一緒に出かけましょう。
前回、前田農産食品では、ケーキ作りに使う薄力粉を中心に取材をさせていただいた。お話をうかがっていてわかったのだが、前田さんが小麦粉のプライベートブランドを立ち上げたのは、パン用小麦粉がきっかけだった。そこで取材後記としてパン作りの話をしよう。
告白すると、私はこれまで結構な量の小麦粉を無駄にしてきた。心から申し訳ないと思っているのだが、それはパン作りをしてきたからなのだ。
パン作りに手を染めたのは30年も昔のことだ。おそらく、はじめはドライイーストで作ったと思うのだが、いつしか天然酵母に手を出すようになっていった。

パンを作るにあたって、ドライイーストを使うのか天然酵母を使うのかという選択がある。ドライイーストは分量さえちゃんと測れば、ある程度、先々どうなるのかが予測できる。
一方で天然酵母は、有機農業のようなものであり、人間が制御できない要素が多々含まれている。特に素人がよい結果を得るのは簡単なことではない。
ただし、市販の天然酵母を使う場合は、失敗するリスクはうんと少なくなる。マニュアルに示されたように手順を進めていけば、たいていはうまくいく。
パン作りにおける、最も危険な道は何か。それは、自家製天然酵母を作るという、不安に満ちた、しかし同時に計り知れない可能性を秘めた、未舗装の道である。

ある日、おいしいと思っていたパン屋で、市販の天然酵母が使われていることを知った。そこで自分も同じ酵母を買ってきて作ってみると、プロのようにとはいかなくとも、まあまあ出来のよいパンが焼けたのである。
しばらくはそれで満足していた。ところがそのうちに、別のパン屋にて、レーズン酵母なるものが使われていることを知った。
レーズン酵母ってなんだ?
この疑問から、私の酵母遍歴人生が始まった。
レーズン酵母パンの作り方を調べると、基本的にはレーズンを水につけて発酵させ、その液を使ってパンを発酵させるというものだった。
えっ。そんなに簡単なことだったのか。
しかし、これが勘違いであったことを知るまでに、数々の失敗が重ねられることとなった。単純なことこそ、実は難しいのである。
そもそも野生種の酵母はあちこちにいる。「ある」ではなく「いる」と書いたのは、酵母が生き物だからなのだ。
野菜や果物の表面だけではなく、ハーブや花にまでいるそうだ。その酵母を捕まえて培養し、小麦粉を加えてパン種を作り、生地を発酵させて焼けば、天然酵母パンができるという理屈らしい。
これはあくまでも理屈なのであって、現実は必ずしも理屈通りには進行しないというのは、よくある話だ。
レーズン酵母は比較的作りやすいと言われているが、作ってみても、ちゃんと酵母が起きているのかよくわからなかった。
とりあえず、紫がかった液種に同量の小麦粉を投入して混ぜる。特に膨らんでいないなぁと思いながらも、翌日、さらに液種と小麦粉を投入。数回その作業を繰り返すも、どうも発酵なるものが起こっている気がしない。
失敗なら失敗と見切りをつけて、もう一度はじめからやり直せばよいのだが、ここでやめたら、何よりも投入した小麦粉が無駄になってしまう。そう思って、元種が完成したつもりになって、パンこねの本番に突入する。
小麦粉と水と塩と砂糖、そしてレーズン酵母の元種を混ぜてこねて、置いておく。
次の日、膨らんでいない。もう一日様子を見ても変化なし。ここでやっと、ちっともパン作りに至っていないことに気づく。
もったいないのでこの生地を丸めて焼いてみても、ネチョネチョした酸っぱい小麦粉の塊ができるだけである。
これをわが家では「ネチョパン」と呼んでいる。おいしさの片鱗もない物体であるため、家族は誰も食べてくれず、それでも、食材を無駄にしたくないと思って、一人で少しずつ食べてみるものの、全部は食べきれない。結局、途中であきらめなかったせいで、かえって多くの小麦粉を無駄にしてしまったのである。
このネチョパンを何度作ったことか。本当にごめんなさい。

自家製天然酵母作りには技術が必要だ。なんとなくは作れない。遅まきながらそのことに気づいた私は、パン教室に通うことにした。
向かったのは、東京の茗荷谷の名店「マールツァイト」の主催するパン教室だった。
ここでは、定番のレーズン酵母から始まり、りんご酵母、じゃがいも酵母、ベルギービール酵母など、さまざまな酵母の起こし方とパン作りについて教えてもらった。
「パン作りのどこが好きなんですか?」
マールツァイトの師匠にたずねられ、私は「生地が膨らむところです」と答えた。
「わかります〜。私もです」
そう言われて嬉しかった。私がパンをこねていて一番面白いと思うのは、焼く前にむくむくと生地が膨らむところである。
パン教室で知ったのが「人それぞれ自分に合った酵母がある」ということだった。
マールツァイトの主力酵母は、なんとミルク酵母だった。そして師匠は言った。「私が作るとどうもりんご酵母はうまくいかないんです」
スタッフのパン職人の方は、りんご酵母を上手に扱えるとのことだったが、師匠は得意ではないというのだ。プロにしても、酵母との相性があると知り、なるほど酵母は生き物なのだと合点がいった。
よくペットについて、犬派とか猫派とか言われる。あれはつまり、自分と相性の良い動物は何かという話なのだろう。酵母も同じなのだ。
では、自分にとって、仲良しになれる酵母は何なのだろう。いままで「これだ」という相手には出会っていなかった。

試行錯誤を続けるうちに出会ったのが、『自家製酵母の美味しいパン』という本だった。そこに掲載されていた、いちご酵母、トマト酵母、甘酒酵母などのなかに、玄米酵母があった。
玄米酵母は、玄米を発芽させてから、水と砂糖を加えてミキサーにかけ、その白濁した液を元に酵母を起こすというものだった。
もともとわが家では、以前から農家から直接、有機米を購入し、家庭用精米器にかけてから炊いて食べていたので、無農薬玄米を常備しているという好環境だった。
これからパンを作ろうとするのに、まず米を発芽させるなんて、何だか奇妙な感じがしてならなかったものの、やってみることにした。
そしてついに、酵母はぶくぶくと泡を出して膨らんでくれたのだった。なぜうまくいったのか。その原因をきちんと分析できればよいのだが、簡単にはいかないのが自家製天然酵母の難しいところである。
それでも理由を考えてみる。そもそもパワーのある玄米だった。気温や湿度が酵母に合っていた。玄米酵母がうちの環境と、私自身に合っていた。成功の原因はこれらのうちのどれか、あるいは全部かもしれない。
そして、私の玄米酵母との生活が始まった。
酵母は生き物なので、エサが必要だ。小麦粉と水、時には砂糖を加えることでふえる。
つまり、エサをあげ続けて、どんどん量が増えていくのだ。そこで、パンを作ってパン種の量を減らす。そしてまた、エサをあげる。増える。
つまり、酵母を飼育している人は、パンを作り続けなければならないのだ。このような生活が続くと、次第に、「パンを作るために酵母を育てている」のか「酵母を育てるためにパンを作っている」のか、よくわからなくなってくる。
けれど、そんなことを考えている場合ではない。こうしている間にも、酵母はどんどん活性化していくのだ。


おおむね、玄米酵母によるパン作りはその後も成功の歴史を重ねていった。
今でも、小麦粉を無駄にすることが、ないわけではない。私は小麦農家を訪ねるほど、農家の方々に感謝しているのに、それなのに、本当に心苦しいことだ。
実は最近、ホームベーカリーを購入してしまった。小麦粉、砂糖、塩、バター、ドライイーストを入れてスイッチを押せば、なんと4時間ほどで食パンが焼けてしまうという手軽さだ。
もちろん、ネチョパンを作って小麦粉を台無しにするということはない。何だかこれまでの歩みを考えると、ズルをしているような気にさえなるものの、別にそんなことはないのだ。
天然酵母もよし。ドライイーストもよし。もちろんパン屋で買うもよしだ。
自分でパンを焼くことの最大の魅力は、本当の焼き立てが食べられるということである。パンの種類にもよるものの、焼きたてのパンは、そうでないものに比べて2割くらい美味しさが増す気がする。この2割増のおかげで、やっぱり自分で焼きたくなるのだ。
パン生地が膨らみますように。
そう願って、今日も酵母を育てている。
いちごのショートケーキができるまで
〜生産者をめぐる旅〜
文・写真 横松心平
ケーキを焼いているとき、ふと思ったのだ。
「この材料はたいてい北海道で揃うのでは?」
身近なところで、
小麦粉や卵や乳製品が生産されていることに、
なんだかワクワクしてきたのだった。



























横松 心平
1972年東京都生まれ。札幌市在住。北海道大学入学後、北海道大学ヒグマ研究グループの一員になる。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、農業団体や福祉施設の職員を経てライターに。農業、環境、子育て、ジェンダー、文学に関心があります。現在6冊目の著書の刊行準備中。
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