熊本県阿蘇市の「千年の草原」を持続させる取り組み【サステナブルツーリズムの事例#1】

地域の自然環境を守りつつ、その地の文化や特性を生かした観光地づくりを行い、その土地を活性化させる持続可能な観光が近年注目を集めている。熊本県阿蘇市は、地域内で長期間にわたり保全してきた草原を活用し、サステナブルツーリズムを推進している。

「千年の草原」の危機脱却を、世間のSDGsブームが後押し

阿蘇には日本一の面積を誇り、約13,000年も前から人々が守ってきたとされる「千年の草原」と呼ばれる広大な草原がある。その美しさは世界的にも評価され、観光にも欠かせない存在であったが、2016 年度に行われた「阿蘇草原維持再生基礎調査」によると、過去5年間で牧草地が3.7%減少し、代わりに樹林地は3.1%増加しており、草原が急激に減少したことが分かった。草原には約55種類の希少な植物が生育しているが、無断立ち入りや盗掘などの問題が生じていた。また、草原の維持にかかわる農村集落(農業を基盤とした小さなコミュニティや村)が人口減少や高齢化により、長期的な活動継続が難しくなっており、地域は草原を守る方法を模索していた。

烏帽子丘
出典:阿蘇市観光協会

また、大分県との県境に位置する阿蘇市では、阿蘇山の火口や大観峰などに何万人もの観光客が訪れていたものの、別府温泉や湯布院温泉に向かう途中に寄り道する程度の観光地となっていたため、地元の商店街は閑散とし、農村集落にも活気がなくなっていた。阿蘇では、農業とともに観光が主要な産業とされ、人々の生計手段を担っていたため、地域の資源を守りつつ雇用促進や活性化を進めるためにも、持続可能な観光モデルが必要とされていた。

そこで、SDGsやサステナブルツーリズムへの認知や関心が高まっていることをチャンスとし、草原の価値を再発見するサステナブルな観光地づくりを行い「千年の草原」を次の千年に受け継ぐモデルを構築することで、地域の活性化につなげようと考えた。また、観光地づくりに加えて、宿泊施設や商店街、公共交通機関の改修を実施することで、「寄り道する」観光地ではなく、「宿泊する」地域づくりを目指した。

プロのガイドを育成し草原を満喫できる観光を実施

まず「千年の草原」を次世代に受け継ぐために、専門ガイドによる草原ライドとあか牛を使ったPRを実施した。

阿蘇の草原ライド
阿蘇山草原ライド 出典:阿蘇市観光協会

始まりは、2016年に環境省が発表した「国立公園満喫プロジェクト」と呼ばれる、国立公園を観光の目的地とするためのプロジェクトであった。草原のある「阿蘇くじゅう国立公園」は、プロジェクトの先導モデルの一つとして選ばれた。そこで阿蘇市は、観光客に草原や地域の素晴らしさを感じてもらうため、草原の中を走るE-MTBライド(電動付きマウンテンバイク)のツアーを提案した。通常、千年の草原は保全の面から一般の立ち入りは禁止となっているものの、専門ガイド付きのツアーを設けることで、特別な許可により観光客も立ち入れるようにした。ガイド育成においては、阿蘇の草原を管理する「牧野組合」と行政が草原の活用ルールを定め、そのルールに従って活動するプロの草原ガイドを育成した。E-MTBライドでは、草原を知り尽くしたガイドに案内されながら、草原を悠々とサイクリングでき、阿蘇の自然を全身で感じられる。また、ライドの参加料金には、草原の維持に使われる「草原保全料」が含まれるため、参加することで地域に貢献できる仕組みづくりも行った。

阿蘇外輪山からのパラグライダー
さまざまなアクティビティが楽しめる 出典:阿蘇市観光協会

このE-MTBライドを活用した取り組みが世界的に評価され、阿蘇市は持続可能な観光地の国際的な認証団体である「グリーン・デスティネーションズ」から「世界の持続可能な観光地100選」に2021年と2022年に2年連続で選ばれた。現在では、E-MTBライドだけでなく、トレッキングや乗馬、パラグライダーなどさまざまなアクティビティが楽しめる。

サステナブルツーリズムを推進する上で、観光には欠かせない「食」にも注目した。阿蘇の草原には「あか牛」と呼ばれる肉牛が放牧されている。あか牛は草原の牧草を食べながら飼育されており、あか牛を約100g食べると、約7.5 ㎡の草原保全になるとされている。あか牛を観光の一部として取り入れるため、特別な許可がないと入れない草原内にて、あか牛のバーベキューを食べるアクティビティを実施し、食べることが草原保全につながることを観光客に広めた。

草原で育ったあか牛をPRした結果、2016年〜2020年の間で飼育数は約14%増加し、阿蘇市内のあか牛を取り扱う飲食店も2013年の5店舗から、2020年の間には2倍の30店舗へと増加した。現在では「阿蘇のグルメ=あか牛」という認識が広まっており、平日でも予約の取れない店があるほど人気となっている。

商店街や交通機関を整備し街全体の活気を取り戻す

内牧温泉
親和苑 出典:阿蘇市観光協会

阿蘇市では、草原に対する取り組みに加え、地域に長く滞在してもらうための取り組みも行った。まず、市内の「内牧温泉」周辺の宿泊施設をリニューアルさせ、宿泊費用を2倍に設定。宿泊客は減ったものの、国内外の富裕層の予約が増加したため、売り上げも増加した。また、最低限のスタッフ数で質の高い業務を行えるようになったため、業務プロセスの改善にもつながった。

活気の無くなっていた門前町商店街については、全ての店の看板に統一感を持たせて高級感を演出し、商店街の景観をモダンな雰囲気に改修するなど、事業者同士が協力して自力で復活させた。その結果、従来は近くに位置する「阿蘇神社」に参拝するための観光客が多かったが、現在は商店街の飲食店を目的に訪れる人も多くなり、以前の活気を取り戻した。

さらに、地域の住民向けだった路線バスを、観光客も利用しやすいよう、阿蘇駅を始発とする循環ルートに変更し、バスの待ち時間に商店街で過ごせるような仕組みづくりを行った。

体制の強化で、さらなる魅力づくりを

阿蘇では、長年大切に保全されてきた「千年の草原」を中心に、地域住民と協力してサステナブルツーリズムを推進した。草原保全に関しては、専門ガイドによる草原ライドやあか牛ダイニングなどのアクティビティを通じて、観光客に地域の魅力を伝えている。さらに、宿泊施設や商店街の改修、公共交通機関の再編により、住民と観光客の交流が深まり、地域全体の経済効果を生みだすことにも成功。

今後は、安定してツアーの販売や催行を行うため「阿蘇温泉観光旅館協同組合」の体制を強化したり、第三者組織における機能拡充や新組織の立上げを検討したりすることで、阿蘇の魅力をさらに広げる取り組みを行っていく予定だ。

サステナブルツーリズムは、地域の特性を認識し行政や事業者などが協力することに加えて、観光客がその魅力を広げていくことで実現していく。環境保全や自然との共生が重要視されている昨今において、阿蘇の事例は今後のツーリズムを考える上で重要なモデルとなるだろう。

【参考記事】
阿蘇市観光協会
観光ビジネスと自然保護を両立させる「サステナブル・ツーリズム」の取組(前編)|日本政府観光局
千年後へつなぐ 阿蘇市のハイエンドな観光地づくりへの挑戦|一般財団法人 自治体国際化協会

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