鎌倉駅から鶴岡八幡宮を背に海に向かって数分歩いたところに、サーキュラーシティを象徴するような研究施設がある。建物の窓にはリニアエコノミーからサーキュラーエコノミーへ転換する鎌倉を表現した「循環者になろう。」というデザインシート。

ガラス戸を開けると「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の研究室を彷彿とさせる巨大なマシン群に圧倒される。

「京都のエス・ラボ株式会社(S.lab)と共同開発した大型3Dプリンタの他、プラスチック製品の粉砕機やマテリアル再生装置など、プラスチック資源の回収からプロダクトの製造までの循環を一気通貫で行える小さなリサイクル工場です」と話すのは、慶應義塾大学環境情報学部教授の田中浩也氏。東京2020オリンピック・パラリンピックにおいて「みんなの表彰台プロジェクト」(※後述)の設計統括を手掛けたことでも知られる日本のデジタルファブリケーションの第一人者だ。

田中氏が2022年、科学技術振興機構(JST)の「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)」に鎌倉市と共同提出して採択されたのが「リスペクトでつながる『共生アップサイクル社会』共創拠点」というプロジェクト。「循環者になるまち~社会でまわす、地球にかえす、未来へのこす~」をビジョンに産官学民共創で「循環型まちづくり」の新たなモデルをつくりあげ、国内外の都市に水平展開する構想だ。
そのサテライト拠点として2022年6月に開設されたのが市民参加型の資源循環を行っている研究施設「リサイクリエーション慶應鎌倉ラボ」。連載の最後は鎌倉サーキュラーシティーを体現する本施設で、プロジェクトリーダーである田中氏に鎌倉での実践の軌跡と、これからの構想を聞いた。
デジタルファブリケーションとの出会いと、修理という原点
田中氏がデスクトップ型の3Dプリンターを始めとするデジタル工作機器――パーソナル・ファブリケーションと出会ったのは2006年のこと。産業革命から100年、社会がデジタル化に突き進むなかで生まれてきた技術革新に感じたのは「面白さ」だったという。
「デジタル化っていうのは、フィジカルだったものがデジタル空間でのコミュニケーションに移行していく流れですよね。音楽がCDからデータ配信になったり、雑誌が紙媒体からウェブになったりという。そこに3Dプリンターというデジタルデータをフィジカルに出力する道具が出てきた。逆の流れなので単純に面白いと思ったんです」
2007年には日本でもいち早く自宅に3Dプリンターを導入した。しかし、使い道は目新しいものづくりではなかったという。
「すでにあるものは買えばいい。世にないものを作れればいいんですけど、毎日欲しいものがあるわけでもない。そうなると、壊れた洗濯機の部品などを出力して、身近なものを修理するというのが適切な使いどころなのではないかと初期段階で気づいたんです」
〈ものの寿命を延ばす〉というこの発想は、後に航空機メーカーがスペアパーツ供給に3Dプリンターを活用するようになる未来を、はからずも先取りするものだった。
「ものづくりの民主化」を鎌倉で
修理からスタートしたデジタルファブリケーションによるものづくりの先に、田中氏が見据えていたのが「ものづくりの民主化」という未来だった。「部品一個から作れる」という大量生産からの脱却。「複雑なものも出力するだけ」という簡易性。「データは距離を超える」という運送革命――しかし、それは市民一人ひとりの「必要なものを自分の手で作り出す」という意識を前提としたものでもあった。
「ガレージなどでのDIYが生活に根付いている諸外国と違い、日本では狭い住環境と受験勉強を優先してきた学校教育の影響で、ものづくり離れが進んでいた。ものを作ったことのない人が大半だったんです。3Dプリンターという新しい技術が社会に広がることで、ものをつくる人が増えたらいいなと”当時は”思っていました」
デジタルファブリケーションを使った教育と研究と社会貢献の中間にある「まちぐるみのものづくり」をしてみたい。そう思い始めた田中氏が実践の場として選んだのが、鎌倉だった。
「ものづくりに興味がある人が多そうだなと思ったんです。鎌倉彫などの伝統工芸という文脈だけではない、新しいものづくりをやりたい人が増えてきているという感触がありました。面白法人カヤックが主導していたカマコンに代表されるようにデジタル系のクリエイターやアーティストがたくさん集まっていました」
田中氏は2011年、鎌倉に移住。同年6月には、現代表の渡辺ゆうかさんとともに「ファブラボ鎌倉」を設立した。市民が、3Dプリンタやレーザーカッターなどのデジタル工作機器によるものづくりを通じて、未来の選択肢や可能性を広げていくことを目指す日本初のファブラボだ。スペースとして選んだのは、2004年に秋田県から移築された木造建築。それは、先端技術でものの寿命を延ばすことも大義のひとつとするファブラボを体現しているような空間だった。

ファブラボを「循環」へと軌道修正させたもの
デジタルファブリケーションによるものづくり革命からは「一個から作れる」という特性を活かした「個人の足型に合わせた靴」や「障害のある方のための自助装具」のような活用事例が生まれていた。一方、ファブラボや大学での授業を通じて「ものづくりの民主化という言い方は、やや間違っていたのではないか」と反省させられるような現実も目の当たりにしたと田中氏は言う。
「作ったものが、どう使い続けられているかも追っていたんですが、授業やワークショップで作られたものの多くが、発表会が終わるとゴミとして捨てられていた。大半の人が作るという体験だけで終わっていたんです。自分の取り組みはゴミを増やしているだけなんじゃないかと反省しました」
この気づきが、田中氏のデジタルファブリケーションを「循環」へと転換させる契機のひとつになった。
「本来ゴミになっていた資源を別のものに作りかえるという方向に、日本のファブラボを軌道修正したいと思うようになったんです」
東京2020「みんなの表彰台プロジェクト」を鎌倉での実践へ
大きな実践の場となったのが、田中氏が設計統括として指揮を執った東京2020オリンピック・パラリンピックにおける「みんなの表彰台プロジェクト」。全国3,000カ所から使用済み洗剤容器をおよそ24.5トン回収し、プラスチック素材として再生。3Dプリンティング技術により98台の表彰台を製作した。

都市鉱山を利活用した金メダルとともに、五輪初の市民参画による持続可能性への取り組みとして世界から注目された。一方、トータルとしての環境負荷においては課題もあったと田中氏は振り返る。
「集める場所も分散していたし、日本各地のリサイクル工場で回収したプラスチックを一度細かく砕き、ペレット(工業用のプラスチック原料)に加工したうえで製品化するなど、非常に複雑なサプライチェーンでした。同じことを鎌倉で、と考えたのは、地域の中で資源を回収して別のものに作りかえることができれば輸送距離が短くなる。CO2の排出量が削減できると思ったからです」
しかし、地域内にリサイクル工場を新設するには、従来のファブラボとは桁違いの投資が必要になる。
「ちょうどその時、大学と自治体が一緒になって10年間新しい研究を進めるCOI-NEXTという施策が文部科学省で始まっていた。以前から親交のあった鎌倉市の方々とこれに応募しましょうということになったんです」
鎌倉を研究の場に選んだのは、田中氏がファブラボをやっていたからというだけではない。
「鎌倉のリサイクル率は、人口10万人以上(50万人未満)(の自治体では全国1位です。さらにゴミの削減や資源循環に関わる活動をしている市民の方が非常に多い。そういう方々と連携できる可能性があると思いました」
プロジェクトの採択によって生まれたもののひとつが、共創拠点となる建物の一階に作られたコンパクトなリサイクル工場「リサイクリエーション慶應鎌倉ラボ」だ。建物の入り口にも設置されている「しげんポスト」に市民が洗剤の詰め替え用パックや卵パックといったプラスチック資源を投函。

回収した資源を粉砕し、素材として再生した後、大型3Dプリンタで「まちに必要なもの」として転生させるまでを、基本的には一気通貫で行っている。材料の調整が必要な場合は、神奈川県内の工場と連携しているという。

完成したプロダクトの設置場所も市内なので、輸送による環境負荷も小さい地域資源循環の理想型と言える。
「湘南モノレール大船駅裏のベンチを始め、公園の遊具、三角コーンやプランターなど、主にまちが必要としているプラスチック製品を製造してきました」

こうした公共物に田中氏が着眼したのは、これまで市がそれらのプラスチック製の公共物を海外から輸入しているという現状を知ったことにあった。
「プラスチックを排出する市民はリサイクルをしている一方で、町に設置されるプラスチック製の公共物は海外から輸入していることに違和感を覚えたのです。だったら地域内で循環できるようになったほうがよいのではないか、という社会実験です」

一人ひとりのごみを集めて公共物に生まれ変わらせるという発想は「みんなの表彰台プロジェクト」とも通底している。目的のひとつは「資源循環の見える化と触れる化」——これまで資源ごみを分別してもそれがリサイクルされていることを実感できなかった市民に、自分たちがまちの公共物のものづくりに参加していることを実感してもらうことだ。
「リサイクリエーションラボでのものづくりは、製品を完成させる人だけがしているわけじゃない。資源をごみにせずに持って来てくれる人も、広い意味で、ものづくりに参加していると思っているんです」
大量生産された無機質なプラスチック製品と違い、市民参加で生み出された一点ものの公共物には「自分たちの手で生まれた」というストーリーがある。ものに対する愛着が生まれる。田中氏はそこに経済合理性だけでは計ることのできない価値を見ていた。
尺度としての「循環ウェルビーイング」
「この3年間で、鎌倉市のリサイクル率は3.5%、市民の循環に対する意識は6.4%、同じく循環の行動は1.7%、それぞれ向上しました。でも、資源を循環させることでまちの「質」がどうなるかという、数値データだけでは測れない本質や価値が、我々のプロジェクトにはあると思うんです」
田中氏が牽引する共創プロジェクトがサーキュラーエコノミーに関する取り組みの多くと一線を画すのは、さらなる成果指標として「市民の幸福度」を据えている点だ。
「まちづくりの成果というのは経済性だけでは測りにくいものなんですけど、ちょうどこのプロジェクトを開始したタイミングで、鎌倉市のウェルビーイング参与であった南雲岳彦さん(現・慶応義塾大学SFC特別招聘教授)が”ウェルビーイング指標”というのを開発されていた。それを参考にしながら、循環型まちづくりのアクションプランをつくり、モニタリング・評価まで行えないかと構想しました」
そこから生まれたのが「リスペクトでつながる『共生アップサイクル社会』共創拠点」という名称でもある。そこに参加する人々が輝く循環型社会というビジョンだ。市民が素材を提供することで、まちに必要なものが増えていく。そこではお金ではなく、互いへの感謝——リスペクトという目に見えない価値が循環し、地域のウェルビーイングを高め合っている。だからこそ、循環によるまちづくりの成果を、まちの人の幸せという尺度で測る。この「循環ウェルビーイング」という新たな視点は政府からも注目され、他地域への展開も検討され始めているという。
次の4年で実現させたいこと
2026年で4年目に入ったこのプロジェクトは、本施設での「3Dプリンタ研究」だけでなく、「AI/IoT」「微生物」「フードアップサイクル」「建築・都市ストック」「生物多様性」など、12の大学と30名以上の研究者が関わる大規模なものだ。制度上の期限は2032年だが、最後の2年はまとめの期間にあたるため、実質的には残り4年で2030年までに結果を出さなければならないと田中氏は言う。そのひとつに掲げているのが「新ビジネスや雇用の創出」だ。具体的には「湘南型サーキュラーエコノミー」の醸成により企業の新事業とベンチャーを合わせて10件以上の創出を目指しているという。
「鎌倉には、リユース容器Meglooや、鎌倉スチールカップなどの先行者事例もありますが、学校とかスポーツとか食とか公園とか、ウェルビーイングのタッチポイントと、リサイクルや資源化を掛け算して「体験化」するというのが、この地域で作り出せる新しいサーキュラービジネスの形ではないかと思っています」
加えて、空き家の解体や小中学校の統廃合など、大きな意味でのリノベーションもまちづくりの要素と結びついた新しいサーキュラービジネスになっていくと田中氏は見ている。
新たなビジネスの種蒔きにもなっている「鎌倉サーキュラーアワード」をはじめ、プロジェクトの根底にあるのはサーキュラーエコノミーの三原則「1ゴミ・汚染を出さない」「2資源を循環させる」「3自然を再生する」だ。
「1と2をだいぶやってきたので、それを続けながらもいよいよ、3の自然を再生するということに取り組みたいと思っているところです。まずは自然をちゃんと測るってことですね。町の街路樹がどれくらい傷んでいるか、生きものがどれくらい住んでいるか。そこを大学の研究の力で、まずはちゃんと知るところから始めます」
研究のフィールドとして広町緑地との連携もはじめている。かつて鎌倉市民が開発から守った都市林だ。ビジョンに掲げた〈社会でまわす〉に続いて〈地球にかえす、未来へのこす〉取り組みが先人たちから受け継いだ場所で始まっている。
三浦半島へ、そして世界へ
鎌倉での成果を、三浦半島全域へと広げていく構想もあるという。
「たとえば葉山町も非常にリサイクル率が高い。鎌倉市にはない生ごみの分別収集など進んだ部分もたくさんある。お互いのいいところを参考にし合いながら、三浦半島全域に活動を広げていこうと思っています」
海外からの視察もこの構想を後押しした。アフリカ諸国からの視察団を受け入れた際、大都市である横浜の事例は「自分たちには手が届かない」と受け止められた一方、鎌倉や葉山のような中規模自治体の取り組みは実装可能性の高いヒントとして評価されたという。
「中規模自治体として工夫してやっていることが、自分たちも頑張ればできるんじゃないかという、世界各国のヒントになると気づいたのです。世界から視察に来る人たちのヒントとなるような場所や取り組みを、三浦半島各地で連携して紹介できるようになれば、新たな地域圏として面白いと思っています」

循環によるものづくりがひらく、まちの未来
最後にこの3年間の成果と課題を尋ねると、田中氏はこう答えた。
「ウェルビーイングを評価軸とする循環型のまちづくりを鎌倉で実践して、日本全国や世界からも注目をいただけるようになったというのが端的な成果ですね。課題はプロジェクト終了後の事業化と持続可能性です」
その最適解のひとつと捉えていることを田中氏が明かしてくれた。
「リサイクリエーションラボの設備や仕組み、他の自治体に移植できないかということも考えています。また既存の公共施設とドッキングさせることも可能だと思います。」
ごみの資源化率を上げようとしている自治体の担当者たちが直面している壁のひとつが「出口」までの距離だ。リサイクル工場までの輸送コストが、資源としての価値を上回ってしまえば、経済合理性が成り立たない。リサイクリエーション設備は、この壁を突破する一助となり得る。たとえば、ゴミ処理場にこの設備を導入する。すると、まちに必要なものを、まちの資源で、まちの人たちの手でつくることが可能になる。それは、これまで分別して焼却するだけだったごみ処理場の概念を大きく変えることになるはずだ。全国の自治体がごみ処理場にリサイクリエーション設備を持ち、地域資源循環によるものづくりを通じて、公共の備品や福祉に必要な装具などを生み出していく。それによってまちで暮らす人々の幸福度を上げていく。ごみの焼却場を手放した鎌倉が見せてくれたのは、そんな未来のまちの姿だった。





