群馬県「不登校」から「ユニパス」へ。言葉が変える、子どもたちの自己認識

「不登校」という言葉に、私たちはどんな意味を重ねてきただろうか。2026年、群馬県は不登校の子どもを「UniPath(ユニパス)」と呼び替える方針を示した。それは単なる名称変更ではない。「一人ひとりの道」として捉え直す試みだ。言葉を変えることは、子ども自身と社会のまなざしを変えられるだろうか。

「不登校」という言葉が生んできた“見えないラベル”

「不登校」という言葉を改めて考えてみると、「行っていない」「行けていない」といった否定的なニュアンスがあることに気づく。 学校に通っていない子どもは、「クラスにいないあの子」「問題を抱えた存在」として、見えないラベルを貼られやすくなる。かつて「登校拒否」という、より強い否定表現が使われていた歴史を振り返ると、呼び方の変化から、社会が子どもをどう位置づけてきたかがうかがえる。

ラベルの問題は、周囲の目だけにとどまらない。より深刻なのは、子どもや保護者自身が「自分は普通にできていない」「うちの子は何か問題があるのでは」と、そのラベルを内側に取り込んでしまう点である。

オンラインでフリースクールを運営する「SOZOW」が2024年に実施した調査では、不登校の小中学生の保護者のうち55%が「孤独を感じた」と回答し、19%が望まない離職をしていたと報告されている(*1)。 不登校をめぐる状況が、保護者にとっても心理的・経済的な負担となっていることがわかる。

文部科学省の調査によると、不登校とされる小中学生は2024年度に約35万4千人と過去最多となり、12年連続で増加している(*2)。 背景には、コロナ禍による生活リズムの乱れや、教員不足などの学校側の余裕のなさ、「無理に通わせなくてもよい」と考える保護者の増加など、多様な要因が指摘されている。 つまり、「不登校」は単に個人の性格や怠けの問題ではなく、社会や制度の側の条件が作り出している現象でもあるのだ。

それでも、「不登校」という言葉は、問題の所在を子ども本人に押しつけやすい。学校に行けないことが「悪い」のではなく、「現在の学校システムが多様な学び方に十分対応できていないことが本当の課題ではないか」という視点も必要かもしれない。

「不登校」という呼び方が長く使われてきたことで、子どもたちが自分をどう見るか、周りがどう見るかという、自己認識や社会のまなざしを狭めてしまった側面があるといえる。


オルタナティブスクールとは

unique × path が示す、多様な学びの肯定

群馬県が採用した「UniPath(ユニパス)」という呼び方は、unique(一人ひとりの)とpath(道)を組み合わせた造語で、「一人ひとりの道」という意味が込められている。 提案したのは、知事のリバースメンターとして政策提言を行う高校生たちであり、「不登校」という言葉に違和感を覚えた当事者世代が、より前向きな名称を求めて提案した。 ここには、「学校に行っていない状態」を欠けたものとして見るのではなく、「自分のペースや方法で学ぶ一つの道」として捉え直そうとする発想がある。

ユニパスの対象となるのは、さまざまな事情で学校に通わず、自宅やフリースクール、オンライン環境などで学ぶ子どもたちである。群馬県では2024年度時点で県内の小学生1,783人、中学生2,948人がユニパスに該当する(*3)とされ、県は学校に通えない子どもや保護者が相談できる電話窓口や、メタバース空間で学びや交流ができる「つなぐんオンラインサポート(つなサポ)」などを整備している。 ユニパスは単なる言い換えではなく、学校外の学びを実際に支える取り組みと組み合わせて打ち出されているのだ。

国の調査でも、不登校の子どもが学校外の機関で相談や指導を受け、フリースクールやICTを活用した学習が出席扱いになるケースが増えており(*4)、 学びの場は担任のいる教室だけではなくなりつつある。学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)などの制度も、子どもの状況に応じてカリキュラムを柔軟に編成することを目的に整備されてきた。 こうした流れの中で、「ユニパス」という名称は、「学校外で学ぶ」という選択を正当な学びの一形態として認める象徴になり得る。

もちろん、名称を変えただけで子どもや家族の不安が一気に消えるわけではない。だが、「あなたは不登校の子です」と言われるのと、「あなたは今、ユニパスの時期にいる」と伝えられるのとでは、受け取る印象は大きく違う。後者には、「一人ひとりに合ったペースや道を選んでいい」という肯定的なメッセージが含まれている。 「行けない子」から「自分の道を模索している子」へ。名前の変化は、子ども自身が自分の状態をどう捉えるかという、自己認識の土台を少しずつ変えていく。


教室の外での学び。寺子屋が支えていた、地域の学びと子どもの居場所

多様な学びを前提にする社会へ

とはいえ、呼び方を変えただけで、現実の課題が解決するわけではない。ユニパスという名称の採用は、主に行政資料や広報での表現を変えるものであり、すぐに出席扱いや制度の中身が変わるわけではないとされている。 

実際には、教員の配置や専門職の確保、フリースクールなどとの連携、評価や進路指導の仕組みづくりなど、多くの具体的な課題が残っている。保護者への調査では、学校外で学ぶ選択肢や支援制度について、「学校から情報提供がなかった」と感じる人も少なくない(*1)。 名称の変更は出発点であり、制度や現場の再設計はこれからの課題である。

それでも、「名づけ直し」が持つ意味は小さくない。かつて「登校拒否」から「不登校」へと言葉が変わったとき、子ども側の「拒否」ではなく、「行けない状態」として理解し直そうとする社会の意識の変化があった。 今回の「ユニパス」への転換も、「欠けた状態」から「一人ひとりの道」へという価値観の変化を含んでいる。

言葉が変わることで、学校に行っていない子どもに対する問いかけや、話し合いの内容も変わっていく。例えば、「どうやって学校に戻すか」だけでなく、「今の場所でどう学び、どう生活を整えるか」を一緒に考える視点が生まれやすくなるだろう。

文部科学省は、学びの多様化学校の拡充や、個別の教育カリキュラムを認める特例制度の新設などを進めている。 不登校の増加が続くなか、「学校に戻すこと」だけをゴールにせず、「どこにいても学び続けられる社会」を構想することが求められている。企業が「不登校離職」を防ぐ休業制度を整備したり、自治体が保護者向けの相談窓口を広げたりしている動きも、その一部だ。 そこでは、子どもだけでなく、親や働き手の生き方も含めて支える視点が重視されている。

ユニパスという言葉は、「学校に行かない自由」を容認するのではなく、「多様な学びを前提とする社会」への問いかけといえる。一人ひとりが、自分のペースとスタイルで学び続けられるようにするためには、学校・家庭・地域・オンライン空間など、さまざまな場が連携する必要がある。 そして、「枠からはみ出した子」を元の枠に戻すのではなく、枠そのものを広げていく発想が求められるのだ。

「不登校」という言葉を「ユニパス」と言い換える試みは、その第一歩にすぎない。しかし、その一歩をどう育てていくかは、大人たちの関わり方にかかっている。「学校に行かない」子どもを前にしたとき、「問題」と見るか、「自分の道を探している存在」と見るか。この違いが、子どもたちの自己認識と、これからの教育社会の形を大きく左右していくのではないだろうか。

Edited by k.fukuda

注解・参考サイト

注解
*1 不登校の保護者5人に1人が離職、学校から情報もらえず困惑|SOZOW株式会社のプレスリリース
*2 不登校の現状をご存じですか?|文部科学省
*3 令和7年度第37回定例記者会見要旨(1月15日)|群馬県
*4 令和6年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要|文部科学省

参考サイト
学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)(不登校児童生徒を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校)について|文部科学省
ユニパスとは?最近話題の言葉を深掘り/群馬県が採用した新しい不登校の呼称をわかりやすく解説|全国子ども支援リスタート協会

About the Writer
丸山瑞季

丸山 瑞季

大学で国際コミュニケーション学を専攻。卒業後はデジタルマーケティングに携わり、現在は難聴児の子育てに奮闘しながら、楽しく生きることをモットーに在宅で働く。関心のあるテーマは、マインドフルネス、ダイバーシティ、心理学。趣味は、食べること、歩くこと、本を読むこと。この人が書いた記事の一覧

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