
「環境問題には真剣に向き合わなければならない」─これには誰もがおおむね同意するだろう。だが、私たちは実際の行動に移せているだろうか。「素人だから」と理由をつけ、環境問題を専門家任せにしてしまってはいないだろうか。本記事では、一般人と環境問題の関係性を紐解き、これから私たちはどうすればいいかを考えていく。
専門家への「委任」と、市民の沈黙

2025年4月、日本人の気候変動対策への意識低下が明らかになった。
世界最大規模の世論調査会社、イプソス株式会社が32カ国を対象におこなった調査によると、「個人が今すぐ気候変動に対処する行動を取らなければ、次世代の期待を裏切ることになる」という設問に対し、「同意する」との回答は日本で40%にとどまった。これは32カ国中、最下位の数値である(*1)。
この背景には、環境問題を科学的・技術的な難しい問題と捉え、知識不足を理由にアクションを起こすことを控える風潮があるのではないだろうか。言い換えれば、私たちは環境問題に直面したとき、「自分より詳しい誰か」を待ってしまっているのではないだろうか。
だとすれば、その状況は環境問題に対する「静かな無関心」の蔓延を許してしまっている。
はたして専門知識の不足は、社会課題について語る資格がないことと同義なのだろうか。既存の制度や規範にただ従うだけでは、いずれ民主主義的な合意形成からの離脱にもつながってしまう。いま一度問い直したい。
科学的知見と「生活の実感」の乖離

かつて環境問題は、専門家の領分だった。
日本を例に挙げると、1970年代は水俣病や四日市ぜんそくなどの公害が環境問題として取りざたされ、その解決の鍵は科学的データの収集・分析と技術的対応にあった。
1971年には、当時の環境庁から排水基準が公表され、1972年には自然環境保全法が制定されている。だが、いずれも専門的な測定技術と科学的根拠に基づくトップダウン型の政策だった。
経済成長が優先されたこの時代、市民の役割は「被害を訴える」ことであって、政策形成に参画するという概念はほとんど存在しなかったといえるだろう。
だが現在では、「量的な豊かさ」よりも「質的な豊かさ」が注目されるようになったこともあり、環境問題は生活習慣や価値観に深く関わる「文化的な課題」へと変容している。
この変化のなかで、データだけでは語り尽くせない「生活者としての視点」が重要になってくる。
たとえば、太陽光パネル設置の計画があるとしよう。
パネルの発電効率やCO2削減効果はデータで示せても、
- 山並みの風景から感じられる情緒
- 朝日を浴びて畑仕事をする習慣
- 地域の森林文化への帰属意識
は曖昧になりがちである。これらをカバーするには非専門家である地域住民の声を聞かなければならないだろう。
私たちは科学の専門家ではないが、生活のプロだ。環境問題が文化の課題となったいま、数値化できない「未完の知」を社会に投げかけることに価値がある。
科学的正しさに対し、自らの実感を問いにする姿勢こそが、社会をより豊かにするのではないだろうか。
多層的な環境ガバナンスへの参画事例

専門知識を持たない一般人が、熟議を通じて国や地域のルール作りに直接関わる新しい仕組みが、世界中で大きな成果を上げている。
その代表的な事例が「気候市民会議」だ。
無作為に選ばれた人々が専門家から情報提供を受けながら、数週間から数カ月かけて議論を重ねる試みである。
気候市民会議の成功事例として、まず挙げられるのはフランスだ。
2020年、無作為に選ばれた150人の一般人が気候変動対策を議論し、149の政策を提言した。この提言は単なる理想論に終わらず、約3分の1が実際の法案提出に反映された。
たとえば、列車で2時間半未満で移動できる都市間の国内航空便の運航禁止や、学校食堂での菜食メニューの導入といった具体的なルールが、市民の手によって生み出されている(*2)。
日本でも、茨城県つくば市で「ゼロカーボンで住みよいつくば市」を掲げた気候市民会議が開催されている。
2023年、くじ引きで選ばれた市民50人が必要な行動・施策のアイデアを出し合った。
最終的にレンタサイクルの増加、太陽光パネルのリサイクル・処分における経費補助など、74件の提言が市に提出されている(*3)。
これらの事例は、社会という船において私たちが単なる「乗客」でなく、舵を握る「操縦者」になれる可能性を示しているのだ。
「無関心」の是非と、参加の倫理的重圧

環境活動に参加しないことを、「個人の問題」として片付けるのは簡単だ。
だがそのままにしておくと、「道徳心が欠如している」と他者を責め立てる人が出てくるかもしれない。はたしてそれでいいのだろうか。
非専門家が声を上げられない、行動に移せない背景には、さまざまな障壁が存在する。
心理的な障壁としては、「100年後の気温上昇」や「途上国の被災リスク」といったテーマをメディアやSNSで見聞きしても、時間的・空間的に遠すぎるために点が挙げられる。
自分事として感じられないために、危機感を感じず行動にも移しづらいのだ。
また、環境問題が社会全体の問題であるために、かえって「自分1人がやらなくても誰かが動くだろう」と考えてしまう「傍観者効果」も原因の1つと考えられる。
社会的な障壁としては、やはりコストの問題が大きい。
国立環境研究所の調査によると、環境団体の代表者の9割以上が50歳以上であることが判明している(*4)。
経済的・時間的に一定の余裕がなければ、環境活動に本腰を入れづらい現実がうかがえる。
これは環境団体に所属しない人々にも通じるだろう。日々の生活を送ることで精一杯の私たちにとって、地球規模の課題に声を上げ、行動することは、決して容易いことではないのだ。
ほかにも、環境教育の不足、地域コミュニティの弱体化など、個人の資質だけでは説明できない課題はいくつも挙げられるだろう。
このような「無関心に陥りやすい構造」を認識する。そして、個人の努力だけに頼らない仕組み作りを模索する。この視点が重要なのではないだろうか。
未完の知を携えて、社会とつながる

環境問題と向き合う際、専門知識を求める必要はない。本記事で述べたように、専門家に任せきりにするのではなく、等身大の市民として社会の舵取りに関わる姿勢が重要である。
例えば、以下のような習慣を取り入れてみてはどうだろうか。
- 「近所の川の水、以前より濁ってるかも?」のように、小さな疑問・違和感をスマートフォンのメモアプリや手帳に書き留める
- 「そういえば、電気代が上がるらしいね」のように、生活に根ざした話題から家族・同僚とニュースを共有する
日々の生活で感じる素朴な気づきを大切にし、知識が不完全なままでも小さなアクションを実践してみよう。一人ひとりの小さなアクションは、人や自然との新たな関係を育む一歩となるはずだ。
Edited by s.akiyoshi
注解・参考サイト
注解
*1 気候変動対策への日本人の意識低下が明らかに、32か国中最下位 | Ipsosによる
*2 気候市民会議を通じたフランスの社会実験(前編) | NPO法人 国際環境経済研究所、気候市民会議を通じたフランスの社会実験(後編) | NPO法人 国際環境経済研究所による
*3 気候市民会議つくば2023 | つくば市、気候市民会議つくば2023提言書 | つくば市による
*4 日本の環境 NPO/NGO の活動と課題に関するアンケート調査報告書| 国立研究開発法人 国立環境研究所・グリーン連合による
参考サイト
環境保全活動、環境保全の意欲の増進、 環境教育に関する取組の状況 | 環境省
気候変動対策への日本人の意識低下が明らかに、32か国中最下位 | Ipsos
【環境年表】環境問題の歴史に迫れ(1945年~1977年) Part1! | JEMS
越田加代子「環境問題を解決するための『市民参加型』制度の一考察」(『立命館経済学』第65巻第6号、2017年)
重大な問題であるほど見過ごされてしまう!?『傍観者効果』 | SBSマーケティング
100年先の人々を思いやれるか | 国立研究開発法人 国立環境研究所
気候市民会議は社会を動かせるか | 公益財団法人 NIRA総合研究開発機構
気候市民会議を通じたフランスの社会実験(前編) | NPO法人 国際環境経済研究所
気候市民会議を通じたフランスの社会実験(後編) | NPO法人 国際環境経済研究所
気候市民会議つくば2023 | つくば市
気候市民会議つくば2023提言書 | つくば市
日本の環境 NPO/NGO の活動と課題に関するアンケート調査報告書| 国立研究開発法人 国立環境研究所・グリーン連合



























早瀬川 シュウ
フリーライターとして活動中。「日々の生活に『喜び』を」がモットー。特に、「快適さ」や「居心地のよさ」へのこだわりが強い。子どもの頃から海や森林公園を訪れていることもあって、自然環境や景観への興味関心も持っている。せせらぎの音や木漏れ日、お茶をじっくり味わう時間を好んでいる。
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