#26 2040、未来の君へ

16年目の春、800年の時を刻んできた浄楽寺へ

咲き誇る桜の下、ランドセルを背負った小学生たちが歩いていく。10年前、三浦半島の海辺のまちで生まれた君は4年生になった。「今夜は進級祝いにお寿司ね」と約束した。この小さな世界だけで生きていけたらと思った。この小さな世界だけは守りたいと思った。ささやかな人生とともに、この小さなしあわせを。

君を見送って、そのまま芦名の浄楽寺へ足を運んだ。運慶作の不動明王立像、毘沙門天立像、そして本尊である阿弥陀三尊像とともに、800年に渡ってわたしたちが暮らす大楠の人々を見守ってきた寺院だ。

地域資源を活かした大楠野草茶

本堂脇の宝池を通り過ぎて奥に進むと、先述した五体の仏像が所蔵されている拝観堂がある。さらに奥へ続くゆるやかな坂道を上ると宿坊に隣接する古民家から女性たちのにぎやかな声が聞こえてきた。ここで定期的に行われている”大楠野草部”の活動だ。海の向こうに富士山を望む座敷で10名ほどの女性たちが乾燥した木の葉を手揉みしていた。

「こっちがビワの葉で、こっちはイチジクの葉です」

「どっちも地域の庭先で分けて頂いた野草なんですよ」とメンバーの方々が手を動かしながら教えてくれた。

会を主宰する大楠観光協会の萩原美智さんに話を訊く。

「大楠野草部は地域の里山に自生する野草を昔ながらの知恵で現代の暮らしに活かそうという集まりなんです」

古くから日本には五木八草(ごぼくはっそう)の薬湯やビワ葉湯などの野草茶文化があり、この大楠にも身近な草木で生活や身体を整える養生の知恵が息づいていたという。

「今日は地域に息づく葉っぱで野草茶を作っています」

「地域の人たちとほっとする時間を共有したいね」「だったらお茶だよね」「ビワやイチジクの実は食べても葉っぱまでは使ってなかったよねって」。萩原さんの言葉を補足するように女性たちの声が飛んでくる。

同じ地域で暮らしていながら面識がなかった人たちが活動を通じてつながったという。葉山で同様のお茶作りを経験していた萩原さんを除けば、誰もがお茶作りに関しては初心者だ。ましてや農家でもない。年齢も職業も異なる彼女たちの共通点は、この大楠という土地に対して抱いているシビックプライド。まちをより良い場所にしていこうという当事者意識が活動の原動力と言ってもいいのかもしれない。

「さわやかさを出したいので、夏みかんの皮を配合します。これも地域の庭先でいただいたものなんですよ」

それぞれ細かくしたイチジクとビワの葉を混ぜ合わせたものに乾燥させた夏みかんの皮をブレンドしていく。

「ちょっとした配合の違いで草っぽさが強くなったり、渋みが出たりするんです。柑橘も強いとさわやかさじゃなくて苦味が強くなるし」

「茶葉の大きさで抽出時間も変わるんです。お茶を飲むときに5分以上は待てないよね。作るなら3分くらいで飲めるお茶にしようねって」

何度も試飲を繰り返してブレンド野草茶の黄金比率に辿り着いたとメンバーのひとりが誇らしげに言った。

失われた過去が未来を創っていく

作業が一段落したところでお茶会に混ぜて頂いた。ブレンドしたばかりの大楠野草茶を試飲させて頂く。

白い湯気の中にイチジクとビワの甘い芳香を感じた。ひとくち啜ると、口の中に大楠山の春の空気のような味わいが広がった。

「野草茶と栽培茶の違いはやさしい味がするところかな。栽培茶は何杯も飲むと胸焼けするけど、野草茶は何杯でも飲めちゃう」

「へらへら団子っていう郷土料理と一緒にいただいても合いそう」

お代わりを淹れる湯を運んできた方が教えてくれた。薄力粉で作った平たい団子に餡を絡めた”あんころもち”だという。漁業の道具である”篦(へら)”に似ていることが語源という説もあるそうだ。

「今は浄楽寺を訪れる方への振る舞い茶とか、お裾分けというくらいですけど、いずれは地域の特産物としての販売も考えているんです」

萩原さんが言うと、メンバーの方が持参したパッケージデザインを見せてくれた。本業はアーティストだという。地域の植生だけでなく、地域で暮らす人の専門性も活かして、地域経済を活性化させようという思いを感じた。

「おいしいねえ」「しあわせねえ」と楽しそうにおしゃべりしながら野草茶をいただく彼女たちの向こうにこの町の残照が見えた。

800年前、運慶が造像した五体の仏像とともに浄楽寺が創建されたときにも、この土地で暮らしていた女性たちは手作りの野草茶でこんな風におしゃべりに花を咲かせていたのではないだろうか。失われた過去を取り戻すことであたらしい未来を創っていく。素朴でやさしい野草茶の味わいが、持続可能な方法で地域社会を維持していこうという彼女たちの思いそのものに感じられた。

大切なものを次の世代につないでいくために

萩原さんのいる大楠観光協会では野草茶の他に三浦半島の最高峰である大楠山の自然を次の世代に循環させていくための保全と再生を行っている。

保全にあたるのは「大楠山植物名札プロジェクト」。地域の人々が守り伝えてきた大楠山の豊かな自然を構成する木々に地元の小学生たちが名札をつけ、その価値を可視化させようというプロジェクトだ。監修は天神島の海藻観察でもお世話になった横須賀市自然人文博物館・山本薫学芸員。木々の名前と特性、キャッチコピーなどを記した名札作りを通じて子どもたちに地域の自然に対する理解を深めてもらおうという環境教育的な側面もあるという。

再生にあたるのは「菜の花プロジェクト」。かつて春の大楠山には菜の花が咲き誇る風景が広がっていた。それは地域の人々の食卓に彩りを添える食糧資源でもあった。担い手の高齢化や管理体制の変化で失われてしまったその風景を再生しようという取り組みには、地域の人々の暮らしと大楠山の結びつきをかつてのような身近なものにしたいという思いがあるという。

萩原さんたちによる大楠山の保全と再生は山の養分が川伝いに注ぐ海を育てることにもつながっている。そこには山と海をつなぐ水脈を維持するために人知れず汗を流しているchottoの三木真理子さんのような人たちの活動がある。そしてその自然を循環させている地域の生物多様性を保全するにはNPO法人 三浦半島生物多様性保全の天白牧夫さんらが取り組む里山の復田や外来種の駆除が欠かせない。と同時に、ならば自分は何ができるのだろうという問いかけがわたしの中に芽生えていた。この地域の未来のために。

この土地の何を未来の君へつなぎたいのか

2026年4月12日、こうした方々とともに浄楽寺の本堂で開催されたシンポジウムに登壇させていただいた。お釈迦様の生誕を祝う灌仏会の一環として地域の人々を集めて実施された対話のテーマは「この土地で何を未来へつなぎたいか」。期せずしてそれはわたし自身の地域との関わり方を再定義する機会となっていた。

——この土地の何があなたにとって特別なのでしょか?

「日々の何もかもが特別なんですけど、象徴的なもののひとつが、夕暮れです。秋谷海岸の近くに住んでいるんですが、夕暮れ時になると人がわらわらと浜辺に出てくるんですね。犬を連れて、子どもを連れて、あるいはビール片手にひとりでとか。水平線に夕陽が沈んでいくのを思い思いの場所で黙って見ている。浄楽寺が創建された800年前も、そのもっと前も、この土地の人たちはずっとこの浜辺でこんな風に夕陽が沈んでいくのを見てきたのではないかと思うようになりました。『暮らし』の語源を、「日が暮れるまでの営み」と捉える解釈がありますが、  改めてその意味に気づかされました。本当に大切なことに気づくこと。それを大切にしていくこと。それだけで人は多くを望まずともしあわせなのかもしれない。そう思うようになりました。この町の夕暮れとともにある小さな暮らし。そんな当たり前の暮らしがわたしにとってはこの土地における特別なものになっています」

ファシリテーターの方の質問に答えながら「旅するように暮らしたい」とこの町に流れ着いた16年前の春からのことが走馬灯のように駆け巡っていた。非日常だった海はいつしか日常になっていた。風が吹き抜けるたびに永遠を感じていた。都会で暮らしていた頃「ここではないどこか」を旅するたびに憧れた、名も知らぬ町の無数の灯火のひとつになれたのだという実感があった。

——その特別なものを「未来へつなぐ」ために、どんな試みをされていますか?

「日が暮れたら風呂であたたまって、家族で一日のことを話しながら夕ごはんを食べるんですけど、少し前までは食卓に子安の里の菜園で自分たちで育てた野菜が入っていたんです。それがここ数年、気候変動の影響が顕在化して以前のように育たなくなった。持続可能性を感じていたここでの小さな暮らし、小さなしあわせを守りたい。ただそれだけなのに、それには温暖化という地球規模の問題を解決しなければいけないと知りました」

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

かつて読んだときは理想論としか思えなかった宮沢賢治の言葉が論理的な事実として迫っていた。経済も情報も今ほど繋がっていなかった800年前ならともかく、世界は相互依存が進みすぎた。中東で戦争が起きれば、エネルギー危機が日本の暮らしを直撃し、先進国が排出した大量のCO2で、南極の氷が溶け、CO2をほとんど排出していない国が海の底に沈んでいく。

世界を変えるには、まず自分が変わること。その次にできるのが地域を変えることだと思った。そのためには同じ土地で生きる人々がどんな思いで暮らしているのか。この土地で何を大切にしているのか。その声を拾い、伝えていく。対話を生み出していく。

里山の保全と再生。水脈整備。藻場の再生。生物多様性の保全。再生可能エネルギーへの転換。環境教育。エネルギー危機や食料危機といった未曾有の危機を乗り越えていくためにローカルコミュニティはますます重要になっていく。支え合っていくこと。食とエネルギーの自給率を高めていくこと。捨てるものをなくし、資源を循環させていくこと。国単位では合意形成も含めて簡単にはいかないけれど、互いの顔が見える地域でならできるかもしれない。地域の人たちの取り組みという点と点をつなげ、線にして、面を描いていく。それこそがわたしが自分の専門性を活かしてこの地域のためにできることかもしれないと思い始めていた。この町での持続可能な小さな暮らしを守っていくために。この世界で2040年に大人になる、君のために。

2040、未来の君へ

——最後にあなたにとって、この土地の何かが「未来へつながった」状態とはどんな未来でしょうか?

「2040年に大人になる娘もこのまちでなのか、あるいは別のまちでなのかはわかりませんけど、大切な誰かと沈む夕陽を見て”いろいろあったけど今日も良い一日だったな”と感じる。大楠の夕陽を思い出して”生まれてきてよかったな”と思う。それこそがわたしがこの土地で大切にしている当たり前の暮らしが未来に繋がったことの象徴かもしれません」

わたしはそう締めくくった。それにはこのまちでの暮らしに対する”感謝と責任”をどうつないでいくかが課題だ。が、それを君に押しつけるのは違うと思っている。ここでの暮らしを君と一緒に楽しむこと。夏野菜を収穫したり、大楠山を登ったり、大潮の干潟で色鮮やかな海藻やウミウシを発見したり——。海を大切に思う気持ちは海で遊ぶことで育まれるように、共に感動し、共に悩み、共に考えることで、受け継がれてきたものを大切にする心は育っていくものなのではないだろうか。わたしが君と生きてきて実感しているのは、親が子どもを育てているのではなく、親が子どもに育てられているということ。教えて育てるのではなく、共に育つと書いて共育だということ。わたしは君と一緒にこのまちでの暮らしを楽しむことで、それを大切に思う気持ちを育てられてきたのだ。夕暮れの浜辺をかけていく君の笑顔を、その小さなしあわせを大切に思う、この心を。

たくさんの想い出とたくさんの記憶がこのまちの未来を守っていく。共に海辺のまちの暮らしを楽しみながら、大切なものを共有することで、このまちの暮らしに対する”感謝と責任”もゆるやかに未来へと受け継がれていくのではないだろうか。そんな風に思っている。

君と旅するように暮らす、この町で。

2026年4月20日

About the Writer

青葉 薫

横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
この人が書いた記事の一覧

種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~

文・写真 青葉薫

夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。

15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで

「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。

#26 2040、未来の君へ
#26 2040、未来の君へ
Related Posts