#25 海の森に対する”感謝と責任”を未来へつないでいくこと

2026年春、海の森へ

春は浅瀬に広がる海の森(藻場)がもっとも繁茂する季節だ。魚たちの多くが海藻や海草の近くで産卵し、ふ化した多くの稚魚が葉陰に身を隠して成長する。顕微鏡でしか見ることのできないプランクトンも無数に息づいている。マクロな視点では見ることのできないミクロの世界が広がっている。海藻や海草が作り出す海の森は多様な生態系が存在する小さな生き物たちの宇宙だ。

近年、その宇宙が海水温の上昇を始めとする複合的な原因で消滅している。

2026年春、海の森はどうなっているのか。わたしは娘とともに三浦半島の海の森の今を確かめに行った。

2026年3月26日、天神島

天神島臨海自然教育園。三浦半島の相模湾側にある景勝地だ。豊かな海岸植生を持ち、1953年に自然分布が確認されたハマオモト(ハマユウ)の北限地として県の天然記念物に指定された場所でもある。この海岸で横須賀市自然・人文博物館が開催した「海藻入門」に娘と参加した。通常は環境保全のため採取できない海藻が研究目的で採取・観察できる貴重な機会だった。

しかも、海水温を上昇させていた原因のひとつである黒潮の大蛇行が8年振りに終息して初めての春だ。岩礁は一面が多種多様な海藻に覆われた観察日和だった。89歳の海藻博士・高橋昭善さんの案内で潮の引いた岩礁を歩きながら海藻を採取していく。

「ほら、みてごらん。この岩についてるのがアオサだよ」

見つけるたびに少年のように目を輝かせる高橋さんは海藻の美しさと神秘性に魅かれ、10代の頃から三浦半島で海藻を採取して標本にしてきた。長年勤めた小学校の校長を退職後、ホンダワラ類の研究により70歳で博士号を取得。自宅に保管している350種類、2千点ほどの海藻標本を少しずつ博物館に寄贈しているという。

「海藻って350種類もあるの?」

娘も目を丸くして驚いていた。さらに驚いたのは350種類どころじゃないことだ。高橋さんによると日本近海だけで1500種類、世界の海に視野を広げると数万種の海藻が存在しているという。

わたしたちの食卓に上っているのはワカメやヒジキ、ところてんや寒天に加工されているテングサなどほんの数百種類だけだという。三浦半島の海藻相の豊かさに圧倒された。海藻の奥深い世界に魅了された。

緑藻と褐藻と紅藻と

近年激減していたカジメやアカモクなどの褐藻とも久し振りに出会えた。

この日、採取された36種類の海藻の中で特に魅かれたのは「ミル」という緑藻だ。触るとスポンジのように柔らかい。松の木のように枝を広げていることから「海松」という漢字が当てられたと言われている。また、海松色の語源にもなっている。

「何せむに へたの海松めを思ひけん 沖つ玉藻をかづく身にして」と万葉集でも詠まれている。1300年前には朝廷に献上され、和え物などにして食されていたという。

他にもフクロノリ、フダラク、ウミウチワ、ヒトエグサ、ムカデノリ、シワハヤズ——三浦半島で16年も暮らしていながら初めて名前を聞く海藻の多いことに唖然としていた。三浦半島の海藻相の豊かさに圧倒されていた。海藻の奥深い世界に魅了されていた。

改めて知ったのは海藻の基本知識である「緑藻」と「褐藻」と「紅藻」の違いだ。潮の引いた浅場ではアオサやミルなどの緑藻が岩に張り付き、ワカメやヒジキなどの褐藻が打ち上げられている。膝まで浸かる水中ではオバクサやイバラノリなどの紅藻が揺れている。

生育に必要な太陽の光がどのくらい届くかがそれぞれの色の違いに現れているのだという。二酸化炭素を吸収して光合成を行う海藻がブルーカーボンと呼ばれる理由は彼らが三色に分類される葉緑素を保有しているからだということを再確認した。

都市環境と海洋環境のバランス

また、海藻には水質を浄化する天然のろ過装置としての機能もあると知った。アナアオサなどのアオサ類は窒素やリンなどの栄養塩を大量に吸収し、水質浄化に寄与しているのだという。公害が社会問題となっていた高度経済成長期、東京湾岸などで異臭を放っていたヘドロの正体は窒素やリンを含む生活排水を吸着して腐敗したアオサだと今になって知った。

ヘドロといえば先日、地域の下水処理施設を見学させてもらったときのことだ。職員の方々がこんなことをおっしゃっていた。

「最近、漁業関係者の方から”排水がきれい過ぎるんだよな”と言われることがあります」

処理水を海に繋がる川に排出している下水処理施設と地域の漁業組合には漁場を守るための水質基準という協定がある。下水道法や水質汚濁防止法という様々な法令に基づく厳格な基準だ。日本の下水道政策は法令に則り、環境に良い水質を目指す方向で進化してきた。一方でそれが海の栄養を減らしているのではないか。藻場が消失している原因のひとつなのではないかと言われている。

豊かな水環境を求める新たなニーズの高まりを受けて国土交通省では「季節別運転管理」を推進している。地域のニーズに応じて季節ごとに下水処理水の栄養塩類(窒素やリンなど)の濃度を上げるという取り組みだ。実際に濃度を上げた排水に取り組んでいる自治体もある。海苔の色落ちが改善したという報告もあるというが、まだエビデンスが足りていないというのが現状だという。現場の職員の方はそれが環境にとって求められることであれば取り組むのが公共事業と理解した上でこう言っていた。

「ヘドロの時代も知っている世代としては、あの頃に戻っていいとはどうしても言えません」

下水処理はコレラやチフスといった伝染病対策として清潔な都市環境を維持するために始まった。一方でその清潔さが海の生物多様性を壊す一因にもなっている。都市環境と海洋環境のバランスについて議論を深めなければならないタイミングであることを海の森で改めて実感した。

生息圏が北上している

変化は量や種類の減少だけじゃない。これまで170種もの海藻が確認されているという天神島で、この日採取された中に初めて確認され、標本として保存されることになった海藻があった。

2019年以降増えているスジアオノリや、2025年に初めて確認されたタマゴバロニア同様、南方の温暖な地域に分布が知られている海藻だという。

数年前まで毎日のように食卓に上っていたアカモクも今は北の方で食べられているのかもしれない。

2026年4月4日、追浜の造成浅場

翌々週は三浦半島の東京湾側に足を運んだ。追浜にあるリサイクル施設アイクル脇の造成浅場だ。

「海に森をつくろうよ!PROJECT」に参加してここに娘とアマモやコアマモといった海草を植えたのは2024年9月のこと。

あれから1年半、浅場の環境はどうなっているのか。よこすか海の市民会議の川口将人さんに誘われ「海藻から学ぶ海の環境と海の生き物観察会」に参加した。

施設の奥にある階段を降りて普段は立ち入ることのできない浅場に降りる。7年前、多様な生き物たちが集まる海の森をつくるために砂を入れた浅瀬には見違えるような海草風景が広がっていた。一年半前に点として植えたコアマモが芝生のような面をなして群生していた。

環境審議会でもご一緒させて頂いている水産学博士の今井利為さんが「干潮時に露出する干潟などに群生するコアマモは食害に遭いにくいんです」と解説してくれた。同じ海草でも水深のある場所に群生するアマモと違って海のゆりかごには成りにくいが、ブルーカーボンとしては機能する。

「港湾に造成浅場をつくって食害に遭いにくいコアマモを植えるのがブルーカーボンを増やす近道のひとつかもしれません」

浅瀬のコアマモを避けるように歩いて海の中へ入っていく。あいにくの曇天で水はまだ冷たかった。透き通った水の中のあちこちに岩に張り付いた褐藻や紅藻を確認することができた。

観音崎自然博物館の河野えり子さんによると、相模湾に比べて波が穏やかなこと、海水温が下がることが海藻が定着しやすい理由なんだそうだ。紅藻類が多いのも東京湾側の特徴だという。

埋め立て地でも環境を整えれば海藻が戻ってくることに小さな感動があった。膝まで浸かるところまで進んだところにある人工リーフにびっしりと生えた天然のワカメはまさに壮観だった。

海の森に隠れる小さな生き物たちとわたしたちの生存戦略

採取した海藻を水を張ったバケツの中で振ると中から小さな生き物たちが次々と姿を現した。海藻の表面に張り付いて擬態していた小さな甲殻類ワレカラ。ギンポなどの稚魚の他、ハサミや甲羅に切った海藻で自らデコレーティングするヨツハモガニなど海藻に生存戦略を見出して命を繋いでいる小さな生き物たちが海の森の重要性を教えてくれた。

海藻や海草が作り出す海の森は多様な生態系が存在する小さな生き物たちの宇宙だ。だが、その宇宙は彼らだけのためにあるのではない。ミクロとマクロの世界は相互作用で繋がっている。海の森で育った小さな生き物たちはより大きな生き物を食料として支えている。シロナガスクジラのような巨大な生物も彼らがいなければ生きていけない。もちろん、わたしたち人間も。

「15年くらい前まで、春先は砂浜が見えないくらい海藻で埋め尽くされていました。海水温が上昇している。下水処理がうまく行き過ぎている。海藻が減っているのには色んな原因があると言われていますが、まだまだ研究段階のことも多いです。今日、観察会に参加してくれた若い人たちの中から将来、海を守る研究や活動をしてくれる人がひとりでも出てくるといいなと思っています」

河野さんは観察会をそんな言葉で締め括った。娘が大人になる2040年の春、海の森はどうなっているのだろう。今のわたしにできることは何だろう。2026年春、海の森で感じたことをひとりでも多くの人に伝えること。そして、海の森に対する「感謝と責任」を未来へつないでいくこと。それはわたしたち人間の生存戦略でもあるのかもしれないと感じた。

旅するように暮らすこの町で。

2026年4月6日

注解

*1 『大海のひとしずく』は完成と公開を目指してクラウドファンディングを実施している。

About the Writer

青葉 薫

横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
この人が書いた記事の一覧

種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~

文・写真 青葉薫

夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。

15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで

「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。

#26 2040、未来の君へ
#26 2040、未来の君へ
Related Posts