文化と人種の多様性を前提にした、カナダのインクルーシブ教育

約4人に1人が移民であるカナダの学校では、英語を母語としない子どもや、異なる宗教的背景を持つ子どもたちが同じ教室で学んでいる。多様性を前提としたカナダの教育現場で重視されているのが「公平」という考え方だ。本記事では、カナダの教育制度を通じて、理想と現実の両面から、多文化社会における教育の在り方を探っていく。

多文化社会を前提にしたカナダの教育

カナダの学校の教室は、日本のそれとは異なる特徴を持っている。同じクラスに英語を母語としない子どもや異なる宗教を持つ子どもなど、さまざまな文化を持つ子どもたちが一緒に学んでいる。同じ文化の子ばかりが集まる教室の方が珍しいといっても過言ではない。

2021年にカナダ統計局が行った国勢調査によると、カナダの移民比率は23%に達し、移民総数は836万人を超える。(*1)国民の約4人に1人が移民ということになるのだ。つまり、カナダは移民を受け入れているのではなく、移民国家として成り立っている。

移民国家として知られる背景には、多文化主義が国の理念として明文化されていることにある。1971年、カナダ政府は多文化主義を政府の公式政策として発表した。これは、多様な民族文化を平等に尊重し、すべての人がカナダ社会に平等に参加できる国家づくりを目的とした。(*2)その後、1988年にはカナダ多文化主義法が制定され、多文化主義を促進して保護する法的な枠組みが整えられた。(*3)

アメリカが「人種のるつぼ」として文化を混ぜ合わせアメリカ人になることを求めるのに対し、カナダは「人種のモザイク」として互いの文化を尊重し、あえて混ぜ合わせない。それぞれの文化的背景や価値観を保ちながら暮らすことが、国家の基本方針なのだ。

お互いの文化を尊重する社会が教育にも反映されている。カナダの学校では、英語を母語としない生徒に向けた授業が最初から組み込まれている。宗教や文化における食事や行事への配慮は特別対応ではなく、日常で当たり前に対応するものとして位置づけられている。

教育制度そのものも、多文化主義を反映している。カナダには連邦レベルの教育機関が存在せず、各州が独自の教育制度を運営する。地方の教育委員会が大きな発言権を持ち、地域住民の声を反映しながら学校運営を行う仕組みだ。授業の進め方や学校の資金源、運営方法まで、州によって異なることも珍しくない。すべてを同じ基準でそろえた型にはまった教育ではなく、それぞれの地域や個人に合わせた柔軟性が重視されているといえるだろう。

つまりカナダは、多様性に対応する教育をしているのではなく、多様性を前提にした教育をしているのだ。では、それぞれの違いを尊重する教育において、「公平」とは何を意味するのだろうか。


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「同じにしない」ことで成り立つ公平

カナダの教育では、すべての子どもを同じように扱う「平等(Equality)」ではなく、必要に応じて支援の内容や量を変える「公平(Equity)」が重視されている。

両者の違いは重要だ。平等とは、すべての人に同じ資源や機会を与えることを意味する。一見公平に見えるが、一人ひとりの置かれている状況が異なる以上、同じ支援では同じ結果にたどり着けないことがある。一方、公平とは、個々の事情や必要としている支援が異なることを前提に、それぞれに応じて提供するものを変える考え方だ。目的は、すべての子どもに同じものを与えることではなく、すべての子どもが学びに参加し続けられる条件を整えることにある。

カナダの教育は、「公平」を選んでいる。たとえば、英語を母語としない子どもには、英語学習の追加支援が提供される。授業中に理解が追いつかない場合は個別の補習時間が設けられ、家庭環境によって学習時間が確保できない子どもには放課後のサポートプログラムが用意される。

例として、オンタリオ州では、移民の子ども、低所得階層の子ども、先住民の生徒など、学力向上にリスクを抱える子どもたちへの支援が教育政策の柱として明確に位置づけられている。必要な支援は一人ひとり異なり、それに応じて提供される支援の内容や量が調整されるのだ。

日本では「同じ扱い=公平」と考える傾向が強い。みんなが同じ教科書を使い、同じペースで学び、同じテストを受けるのが当たり前だと思われている。だが、スタート地点が異なる子どもたちに同じ支援を提供することは、本当に公平といえるのだろうか。

カナダの教育制度は、一見不平等に見えるかもしれない。ある子どもには追加の支援が与えられ、別の子どもにはそれがない。だがこの違いこそが、すべての子どもに同じ学習機会を保障するための手段なのだ。


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違いを抱えたまま学ぶということ

では、公平を追求するという理想の教育は、実際現場でうまく機能しているのだろうか。

カナダ教員連盟が2025年1月に発表した調査によれば、現場で教育に携わる人の約80%が、予測不可能で増大する仕事量への対応に苦労していると報告された。調査の中では、5年前と比べて生徒のニーズが大幅に複雑になったという意見も挙げられている。(*4)一人ひとりに応じた支援を提供するには、時間も労力もリソースも必要だが、教員に大きな負担をかけているのが現実である。

文化的な摩擦も存在する。異なる文化的背景を持つ子どもたちが同じ教室で学ぶとき、コミュニケーションの壁は避けられない。宗教的な配慮が必要な場面では、行事や食事の調整に時間がかかることもある。

それでも、カナダの教育が成り立っているのはなぜだろうか。それは、完璧を目指さないからだといえるだろう。カナダでは、対話と修正を前提とし、失敗が許容される文化が根付いている。うまくいかない瞬間があることを前提とし、修正し続けることが当たり前だと考えられている。

カナダの教育が教えてくれるのは、完璧な制度は存在しないということだ。理想と現実のギャップがあり、公平を追求すれば現場に負担がかかる。それでもカナダが「公平」を追い続けるのは、多様性を前提にした社会では、対話と修正をし続けるしか方法がないからなのかもしれない。

社会の形がそもそも違うため、日本の教育と単純に比較することはできない。社会の在り方が違えば、教育の仕方も変わる。教育の形には、その社会の価値観が反映されているからだ。カナダは移民国家として多様性を前提にしているため、「公平」を選んだ。日本が「みんな同じ」を選んだのも、協調や一体感を重視してきた社会があるからだ。どちらが正しいという話ではなく、それぞれの社会の前提が違うのだ。

完璧な公平は存在せず、すべての子どもが同じスタート地点に立つことはできない。だが、どう設計するかは選べる。同じゴールに到達できる可能性を提供することはできるのだ。多様化していく社会の中で、私たちもまた、これからの教育をどう設計するか向き合う時期に来ているのかもしれない。

Edited by k.fukuda

注解・参考サイト

注解
*1 Immigration and ethnocultural diversity statistics|Statistics Canada
*2 Canadian Multiculturalism Policy, 1971|Canadian Museum of Immigration at Pier 21
*3 About the Canadian Multiculturalism Act|Government of Canada
*4 Over 90% of Canadian students affected by education crisis, new survey finds|Canadian Teachers’ Federation (CTF/FCE)

参考サイト
Equality versus Equity|The University of British Columbia
Key Highlights of Canadian Department of Education|Canadian Department of Education
【カナダの教育】個を尊重し、得意を伸ばせる多文化主義教育|KIDSNA STYLE
カナダ・オンタリオ州における学力と多様性の保障|愛知教育大学
【カナダ編】 インクルーシブ教育の理想と現状|教育新聞

About the Writer
中村衣里_中村エレナ

エリ

大学時代は英米学科に在籍し、アメリカに留学後は都市開発と貧困の関連性について研究。現在はフリーライターとして、旅行・留学・英語・SDGsを中心に執筆している。社会の中にある偏見や分断をなくし、誰もが公平に生きられる世界の実現を目指し、文章を通じて変化や行動のきっかけを届けることに取り組んでいる。関心のあるテーマは、多様性・貧困・ジェンダー・メンタルヘルス・心理学など。趣味は旅行、noteを書くこと、映画を観ること。この人が書いた記事の一覧

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