
味噌や納豆、日本酒などの発酵食品は、土地の気候風土と微生物の活動によって作られる。近年、健康や美容の文脈で語られることが多い発酵だが、その本質はもっと奥深い世界にある。土地に根ざした菌たちが、いかにして地域の個性を形作り、私たちの命を循環の輪に繋いでいるのか。発酵を軸に、持続可能な食の循環と心の豊かさについて考えたい。
発酵が守り抜く「均一化されない」価値

ワインの世界では、ブドウ畑の土壌や気候、生態系などが味わいに影響するという考え方を「テロワール」と呼ぶ。この考え方は、日本の味噌や日本酒といった発酵食品にも当てはまり、地域ごとの環境条件が味の違いを生み出す要因になっている。
各地の蔵では、気温や湿度だけでなく、建物の柱や壁、長年使われてきた道具などに存在する微生物が発酵を進める役割を担っている。そのため同じ原料と製法を用いても、蔵の環境が異なれば仕上がる味わいにも違いが生まれるのだ。また同じ蔵で造られた酒や味噌でも、年によって味が微妙に変化することがある。気温や湿度、水質といった条件が毎年同じになるわけではなく、自然環境の差が発酵の進み方に影響するためだ。
一方、現代の食品製造では、品質の安定と効率的な生産体制が重視される傾向にある。スーパーで販売される商品の多くは、どこで購入しても同じ味であることが求められるため、原料や温度の管理が徹底されている。
しかし伝統的な醸造の現場では、数値管理だけでは説明できない「蔵ごとの特徴」が存在する。気温や湿度に加え、蔵に定着した微生物の環境が発酵の進み方に影響し、蔵ごとの味わいを形づくっているからだ。こうした違いは、大量生産の視点では品質のばらつきと見なされることもある。しかし発酵食品の世界では、それが地域の個性として評価されてきた。均一化されないこと自体が価値とされているのである。
発酵の工程は、効率を優先した工業生産とは異なる性質を持つ。現在では温度管理によって短期間で発酵を進める方法も広く使われているが、従来の製法では季節の気温変化に合わせて発酵と熟成を進める。冬の低温で発酵がゆるやかに進み、春から夏にかけて微生物の活動が活発になることで熟成が進むように、自然条件に合わせて時間をかけることで、味や香りに複雑さが生まれると考えられている。
命を繋ぐバトンとしての「発酵」と生物多様性

冷蔵技術が普及する以前、日本では食品を保存するための工夫が欠かせなかった。湿度が高く食材が傷みやすい環境であったことに加え、海に囲まれて塩を入手しやすかったことから、塩と微生物を利用した発酵食品が発展した。平安時代や室町時代には、麹菌を使った味噌や酒の製造がすでに商業として成立していたとされる。微生物の働きを利用する技術は、長い年月の中で経験的に蓄積されてきた知識の成果だ。
発酵は、微生物の分解作用を利用した仕組みでもある。例えば大豆を発酵させて味噌を作る場合、微生物は大豆のタンパク質を分解し、アミノ酸などの成分へと変える。この過程によって旨味が生まれ、栄養も吸収しやすくなるのだ。
こうした発酵の仕組みを支えているのが、生物多様性である。特定の地域で独自の味が生まれるのは、その土地に多様な微生物が生息しているためだ。しかし、気候変動や環境破壊によって土壌や空気の状態が変わると、そこに生息する微生物の種類も変化する可能性がある。存在していた菌が失われれば、長年続いてきた発酵食品の味を再現することが難しくなるかもしれない。
微生物が生きる環境を守ることは、地域の食文化を守ることにもつながる。また微生物の分解能力は、環境対策としても活用されている。例えばビール工場から出る麦の搾りかすや排水を微生物で分解し、肥料やエネルギーとして再利用する取り組みがその一例だ。発酵の仕組みは、資源を循環させる合理的な方法として、産業の現場でも利用されているのである。
微生物の働きは、私たちの食を支える役割を担う。豊かな生態系が維持されているからこそ、発酵食品の文化や農業の生産が成り立つのだ。目に見えない微生物が生きる環境を守ることは、私たちの食を守ることでもある。
私たちが発酵文化から受け継ぐべきもの

発酵の継承とは、レシピをそのまま伝えることではない。「目に見えない微生物と共生する」という姿勢を学ぶことである。科学技術によってあらゆる事象を管理しようとする現代社会において、発酵は人間の制御が及ばない自然現象の存在を認識させる。
醸造家は菌を強制的に動かすのではなく、菌が活動しやすい温度や湿度を整え、その代謝が進むのを待つ。この工程には、数ヶ月から数年という時間を要する。効率と速度が重視される現代において、自然の速度に合わせて待つという姿勢は、生活に精神的な落ち着きを与える。発酵食品を自ら仕込み、完成を待つ時間は、自身のアイデンティティを確認する機会にもなるのだ。
すべてを最適化し、短期間で利益を得ようとする姿勢からは、多様な文化は生まれにくい。時間をかけ、自然環境の変動に合わせ、制御不可能な要素を味の個性として認める。このような考え方は、他者や環境と持続的に共生するための論理的なアプローチである。
発酵デザイナーの小倉ヒラク氏は、伝統的な発酵文化に現代的なデザインや視点を取り入れ、若い世代が関心を持つカルチャーとして再定義している(*1)。こうした活動を通じて、高齢化が進む発酵業界に新しい消費者の流れを作り、業界全体の活性化を促している。文化を存続させるには、固定化せずに裾野を広げることが重要だ。また、近年「クラフト」という概念が注目されているのは、製造過程や生産者の所在が明確であることへの信頼感の表れといえる。
21世紀において、発酵技術は医療・環境・エネルギー・食糧といった分野で社会課題を解決する手段となっている。抗生物質の生成や、生ゴミの高速堆肥化、水素細菌を用いたバイオ燃料の開発など、微生物の応用範囲は広い。枯れ葉からブドウ糖を生成する技術(*2)や、発酵アミノ酸を用いた培養肉の研究(*3)も進んでおり、これらは将来の資源不足を補う可能性を秘めている。
冷蔵技術がなかった時代の知恵として始まった発酵は、現代において科学的にその有用性が証明されている。私たちは、微生物の働きを理解し、自然の仕組みを利用した循環型の社会を再構築する段階にある。発酵は、地球上の資源を効率的に循環させ、持続可能な未来を作るための基礎的な技術といえる。
Edited by k.fukuda
注解・参考サイト
注解
*1 発酵っておもしろい。発酵デザイナー・小倉ヒラクが見つめる 発酵カルチャーの今|KIRINto
*2 木質バイオマスからの糖製造コストを大きく削減|産総研
*3 【記者発表】培養肉の「味成分」は熟成で増加――分化と熟成がもたらす遊離アミノ酸変化を解明し、味制御へ――|東京大学生産技術研究所
参考サイト
発酵−日本の風土が生んだ和食の芸術「発酵」その1− | 一般社団法人和食文化国民会議|Washoku Japan
分解の哲学 -発酵と食を巡って-|KINAN ART WEEK(紀南アートウィーク)
継承する人々の尊さ。発酵文化の豊かさを小倉ヒラクは伝える|発酵インタビュー
発酵で日本のいまが見えてくるあれも発酵、これも発酵①|Discover Japan
発酵と再生――微生物が導く未来の循環型社会|サステナブル・ブランド ジャパン
本記事は、特集「醸す、あらがう——均一化を拒む「ゆらぎ」の哲学」に収録されている。本特集では、均一化を拒む『発酵というバグ』。予定調和を壊すゆらぎの中に、私たちの自律がある。ほかの記事もあわせて、より多角的な視点を見つけよう。
特集|醸す、あらがう——均一化を拒む「ゆらぎ」の哲学
世界中で均一な味が手に入る裏側で、その土地固有の「テロワール」が薄れている。
効率という物差しを捨てた時、見えてくるのは菌と人間が共生してきた泥臭くも美しい歴史。
予定調和を壊す発酵の「ゆらぎ」こそが、システムに依存しない真の自律を私たちに問いかける。





























丸山 瑞季
大学で国際コミュニケーション学を専攻。卒業後はデジタルマーケティングに携わり、現在は難聴児の子育てに奮闘しながら、楽しく生きることをモットーに在宅で働く。関心のあるテーマは、マインドフルネス、ダイバーシティ、心理学。趣味は、食べること、歩くこと、本を読むこと。( この人が書いた記事の一覧 )