数字の政治学。歴史をゆがめる計算式と基準の話

「犠牲者〇〇万人」。ニュースで目にする巨大な数字は、どこから来るのか。歴史の数字には、何を犠牲と数えるかという「基準」が埋め込まれている。イギリスによるインド植民地支配と日中戦争を例に、計算式のレトリックを読み解いていく。数字の「客観性」を疑うことで、歴史との対話は変わっていくだろう。

巨大な数字はどこから来るのか?

スマホから流れてくる国際ニュースを指先でスクロールしていると、ふと指が止まることがある。

「〇〇戦争の犠牲者、推計〇〇万人に」「植民地支配による死者、〇億人に達するとの研究結果」

桁違いの数字は見る者に強烈なインパクトを与える。私たちはその「ゼロ」の多さに圧倒され、反射的に怒りを感じたり、あるいはあまりの現実味のなさに思考を停止させたりする。

けれど、立ち止まって考えてみたい。その巨大な数字は、一体どこから来たのだろうか。誰が、どのような根拠で測ったものなのだろうか。

ニュースの見出しになった瞬間、数字は「客観的な事実」の顔をする。だが歴史において、数字ほど「主観的」なものはない。本記事では、英国と中国という二つの事例から、歴史の数字が作られるカラクリを解き明かしてみたい。

そこには私たちが普段意識しない「計算式のレトリック」が潜んでいる。

歴史の数字はどのように「作られる」のか?

実在しない死者をめぐる“計算式のレトリック”|英印植民地支配

英国によるインド植民地支配。その犠牲者数をめぐって、近年、衝撃的な数字が議論を呼んでいる。

「約5,000万人から、1億6,500万人」

インドの経済学者ウツァ・パトナイクの研究に着想を得た近年の研究(*1)が、こうした数字の根拠だ。当時の英国人口を遥かに超え、世界大戦の死者数さえ小さく見せるほどの規模である。

英国人がそれほど多くの人々を直接手にかけたというのか。答えは否である。ここで私たちが知るべきは「数字の作り方」なのだ。

この計算手法は実に巧妙なものだった。研究者たちは実際に横たわる遺体を数えたわけではない。「もし植民地支配がなかったら、インドの死亡率はもっと低かったはずだ」という仮定を立て、実際の死亡率との差分を計算していく。

さらにこの数字には、飢饉や疫病で直接死亡した人々だけでなく、植民地支配による貧困と栄養失調によって本来の寿命を全うできなかった人々も含まれている。いわゆる「超過死亡」の概念を歴史に適用したものである。

つまりこの数字は、特定の事件で亡くなった実数ではない。「あり得たかもしれない平和な歴史」と「過酷な現実」とのギャップを、人間一人ひとりの命に換算して積み上げたものなのだ。

これを「過大な誇張だ」と切り捨てるのは簡単である。しかし見方を変えれば「奪われた可能性」の可視化とも言える。飢餓で死ぬこと、病気で死ぬこと、本来なら生き続けられたはずの命が奪われたこと。

銃弾によらない静かな死を歴史に刻むために、経済学というツールを使って算出された「告発の数字」なのだ。

同じ戦争で数字が変わる“基準”|日中戦争の犠牲者数

場所を変えて、東アジアに目を向けよう。日中戦争における犠牲者数について、中国政府は1990年代半ばから「3,500万人(*2)」という公式見解を示してきた。その一方、国際的な学術研究では、これより少ない数字が提示されることも多い。

なぜ、これほどのズレが生まれるのか。嘘をついているわけでも、計算ミスでもない。ここにあるのは「基準」の違いだ。

直接の戦闘で亡くなった兵士だけを数えるのか、戦火に巻き込まれた民間人を含めるのか。さらに戦争によるインフラ破壊で起きた洪水や飢餓、伝染病による死者をどこまで「戦争の犠牲」とするのか。

範囲を広げれば数字は膨らみ、狭めれば縮む。「3,500万人」という数字は、中国政府の公式言説においては「侵略がいかに社会全体を破壊したか」を示すための象徴的なシンボルなのだ。逆に、より限定的な基準を用いる側が重んじるのは、因果関係の厳密さだ。

一方は「痛みの総量」を見て、もう一方は「検証可能な事実」を見る。双方が異なる「計算式」を持っているのだから、数字が合うはずがない。

それにも関わらず私たちは数字の背景にある「基準」を問うことなく、結果として出てきた「3,500万」や「数百万」という数字だけをぶつけ合い、「事実を歪めている」と非難し合ってしまう。

数字が与える安心感という錯覚

ここで少し意地悪な問いを自分たち自身に投げかけてみたい。なぜ私たちは、これほどまでに「数字」を気にするのだろうか。

「たくさんの人が死んだ、悲惨な戦争だった」。それだけでは、なぜ満足できないのだろうか。

おそらく私たちは「客観性」という名の安心感を求めているからだ。

「悲惨だった」という言葉は主観的で、相手に伝わらないかもしれない不安がある。しかし、「〇〇人が死んだ」と言えば、それは揺るぎない事実のように響く。数字は、感情を排した「世界共通言語」であると、私たちは思い込んでいる。

しかし、これまで見てきたように、歴史における数字は決して無色透明な共通言語ではない。そこには「何を犠牲とみなすか」という、計算者の思想や哲学、そして政治的な意図が色濃く反映されている。数字を使えば使うほど、実際の私たちは客観性から遠ざかり、それぞれの「物語」の中に入り込んでいくというパラドックス(逆説)があるのだ。

巨大な数字を前にしたとき、私たちが感じている「わかったような感覚」こそが、最も危うい落とし穴なのかもしれない。

歴史の数字を、どう読むか?

歴史の数字は、数学ではない。それは政治的なメッセージを帯びた「言葉」である。

巨大な数字がニュースに現れたとき、それは「これだけの痛みがあったのだ」という叫びであり、同時に「これだけの補償や謝罪が必要だ」という請求書としての役割も果たす。

複雑な歴史的背景を「ワン・フレーズ」で伝えるための、数字は最も効率的なパッケージなのだ。

だからこそ、私たちはリテラシーを持たなくてはならない。流れてくる数字を頭ごなしに否定する必要もなければ、鵜呑みにする必要もない。ただ、こう問いかける視点を持てばいい。

「その数字の『根拠(基準)』は何か?」

直接的な暴力の数なのか、奪われた可能性の数なのか。範囲はどこまで広げられているのか。

数字という「客観性の仮面」を剥がし、その下にある計算式を覗き込むこと。そうすれば、この巨大な数字の向こう側に、統計処理された無機質なデータではなく、植民地支配によって「生きられなかった生」への想像力が働くようになるかもしれない。

歴史との対話は、数字の正誤を判定する「答え合わせ」ではない。なぜ、その数字が作られなければならなかったのか。計算式の奥にある「理由」に深く思いを馳せることから、本当の対話は始まるのである。

Edited by c.lin

注解・参考文献

注解
*1 本記事で言及している数字は、経済人類学者ジェイソン・ヒッケル(Jason Hickel)およびディラン・サリバン(Dylan Sullivan)による2022~2023年の共同研究に基づく。彼らは1881年から1920年の40年間におけるインドの「超過死亡(*3)」を5,000万人から1億6,500万人と推計した。この研究は、インドの経済学者ウツァ・パトナイク(Utsa Patnaik)による植民地搾取の理論を背景としているが、具体的な数値はヒッケルらが人口統計データを用いて独自に算出したものである。
*2 中国政府の公式見解「3,500万人」は、1995年に江沢民国家主席(当時)がモスクワで行った対独勝勝利50周年記念演説で初めて公表された。それ以前、中国側が示していた数字は「2,168万人(1985年公表)」であった。この3,500万という数字は「死傷者(死者および負傷者)」の総数であり、直接の戦闘による犠牲だけでなく、戦争に起因する飢餓・疫病・インフラ破壊による死者を含む広範な定義に基づいている。
*3  「超過死亡(excess mortality)」とは、ある特定の期間における実際の死亡者数と、もし事変や災害がなければ予測されたであろう死亡者数(期待値)との差を示す統計・疫学的概念である。近年ではCOVID-19の影響評価にも広く用いられた。歴史研究においては、植民地支配や戦争の「間接的影響」を可視化する手法として活用されるが、比較対象となる「基準値(平時の死亡率)」をどこに設定するかによって結果が大きく変動するため、研究者によって数字の乖離が生じやすい。

参考サイト・参考文献
・Patnaik, Utsa and Prabhat Patnaik (2016). A Theory of Imperialism. Columbia University Press.
・Davis, Mike (2001). Late Victorian Holocausts. Verso.
・Sullivan, Dylan and Jason Hickel (2023). “Capitalism and extreme poverty: A global analysis of real wages, human height, and mortality since the long 16th century.” World Development, Vol. 161.
・Hickel, Jason (2022). “How British colonialism killed 100 million Indians in 40 years.” Al Jazeera, December 2, 2022.
・笠原十九司『日中戦争全史』上下巻、高文研、2017年。

About the Writer
芦澤_Sea The Stars

Sea The Stars

大学院で哲学(環境倫理学)を学んだあと、高校の社会科教員に。子どもの誕生をきっかけに、ライターへ転身。哲学や歴史をメインに執筆し、西洋哲学に関する書籍の執筆も担当。厳しい時代だからこそ、寛容さ(多様性)が大事だと考えている。週末は海外サッカー(プレミアリーグ)に夢中。
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