
花の名前を知らずに育った
わたしには身近な植生の名前を知らないというコンプレックスがある。多くの人は身近な植物や木々の名前を子どもの頃に長期記憶するものだと聞く。身近な情報をより好みすることなく吸収する、スポンジのような時期だ。自分が身近な植生の名前を知らない要因のひとつは、そういう時期を首都圏に造成されたマンモス団地で、自然に触れることなく通り過ぎてしまったことにあるのではないかと思っている。
一年を通じて温暖な三浦半島は人よりも植物相(フローラ)の方が圧倒的に多い。内湾性の東京湾と外洋性の相模湾に囲まれ、岩礁、海崖、砂浜、干潟などに多種多様な海岸植物が生息しているのも大きな特色だ。おかげで散歩中などに名前を知らない植物を目にするたびに図鑑で調べる習慣がついた。

だが、人の名前すら一度では覚えられない年齢で植物の顔と名前を一致させるのは難しい。季節の花々と再会したときに「どこかで会いましたよね」とは言えても、名前までは出てこない。コンプレックスは未だに解消できていない。
生まれたときから海や里山で遊んでいる娘は違う。彼女は身近な植生の名をカツオノエボシなどの毒クラゲと同じように危機管理として覚えている。触ってはいけないもの。口にしてはいけないものを1歳のときから保育園で散歩のたびに教わっている。自然豊かなこの町で身近な植生を知ることは子どもにとって生存戦略でもあるのかもしれない。
春の息吹を探しに
週末、9歳の娘と春の息吹を探しに出かけた。
弁当と麦茶を詰めたリュックを背負って向かったのは、海沿いの自宅から歩いて15分のところに登山口がある大楠山。3つの山脈が貫く三浦半島において標高241mの最高峰でもある。
登山口のひとつである大楠芦名口には「芦名堰」と名付けられた古い溜め池がある。かつては稲作に使われていた農業用の水源である。里山の荒廃とともに長年放置されていたが、地域の自然文化資産として保全活動が始まり、現在は魚や水鳥、トンボなどが生息するビオトープになっていている。この日は全長90センチほどのダイサギが静かに佇んでいた。単独行動を好むその姿は彼らの異名である”孤高の野鳥”そのものだった。

ダイサギに別れを告げ、ゆるやかな山道を昇っていく。
「これ”ねずみの小判”だよ」
しゃがみ込んだ娘が地表に散らばっていた黄金色の粒を指差していた。
「ねずみの小判?」

調べてみると、冬から春にかけて見つかるハゼノキの実種だった。鳥が実を食べた後、糞とともに排泄したものが雨に洗われ、黄金色に輝く種だけが地表に残るのだという。娘が保育園で近くの野山を散歩するたびに拾い集めていたのを思い出した。どんぐりなどとともに宝箱に入れていたことを。彼女が幼い頃から自然とともに生きていることに羨ましさを感じた。
さらにしばらく登ったところで斜面で見つけたのはコゴミだった。天ぷらやごま和えで頂く春の山菜のひとつだ。ここが稲作の盛んな里山だった頃にはもっとたくさんの山菜が採れていたに違いない。自然の恵みを命の糧にしてきたからこそ自然を敬い、大切に受け継いできた先人たちを思った。持続可能な営みを分断したものを思った。かつてのように摘まれることがなくなってもこうして春に命を芽吹かせ続けているコゴミの姿に。

山頂に向かって歩く道すがらで斜面に咲くスイセンやツバキ、ミツマタやハナモモといった春の花と出逢えた。枯れ芙蓉と呼ばれる冬の花が朽ちて次の命を繋ぐ様相を見ることもできた。

山全体から、冬から春に向かう生命の息吹きを感じた。方々からは鳥の声もたくさん聞こえた。メジロ、ホオジロ、エナガ、コゲラ、シジュウカラ。自然を大切に思う気持ちは現場で多くを感じることでより醸成されていくのだと前を登っていく娘の背中に感じた。
登らないと見えない景色がある
実を言うと、子鹿のように跳ねていく娘と対照的に、わたしの足取りは重かった。仕事で解決すべき問題を幾つか抱えていたせいだ。

きつい登り坂が人生そのものと重なっていた。今、人生の何合目なんだろう。いつまで登り続けなければならないんだろう。心の中で弱音を吐き続けていた。密林のような深い常緑広葉樹林に春の息吹を見つけるたびに歓声を上げる娘の声が遠くに聞こえることもあった。

気持ちが変化し始めたのは、頂上が近くなったときだった。
「つかれた、お腹空いた」と弱音を口にし始めた娘の背中を「あと少しだから」と押しているうちに自分自身が励まされていたのだ。
山頂に辿り着いた瞬間、目の前に広がる光景に胸の奥に詰まっていたものがすっと消えていくのを感じた。

軍港を要する東京湾と漁船がのどかに航行する相模湾。半島の両側で異なる表情を持つ海がぐるりと一望できた。

半島の南端にはまぐろ船が外洋に旅立っていく遠洋漁業の拠点が見えた。人生には登らないと見えない景色があることを改めて思い出していた。悩んでいるときほど頭ではなく身体を動かすことで見えてくるものがあることを。

360度の絶景に自分の小ささを感じながら、おにぎりと鶏の唐揚げと卵焼きを食べた。隣りでおにぎりを食べている娘の姿に子どもの頃の自分が重なる瞬間があった。繋がれた命に宇宙の真理が見えたような気がした。
水の旅を疑似体験する

復路は大楠山山頂から前田川へ抜けるルートだ。落ち葉を踏み締めながら曲がりくねった道を下っていく。整備された遊歩道ではない。多くの人が踏み締め続けることで保たれている、けもの道だ。木の根が階段状になっている場所が幾つもあった。土壌の流出や倒木による根上がりが造り出した天然の階段だ。

正面に見えた木の洞にも思わず足を止めてシャッターを押す——かつて三浦半島に生息していたナウマンゾウが横切っていくように見えたからだ。

木々が造り出す形の妙に驚かされながら歩き続けた。30年に一度の少雨にもかかわらず落ち葉を踏み締めるたびに湿り気を感じた。

いつかの降雨が土壌にろ過され、地下水として湧き出してくるのを感じた。この湿り気が落ち葉の発酵を促し、微生物とともに腐葉土を育てる。栄養を含んだ湧き水が方々から集まって清流という大きな流れとなって海に注いでいく。山から川に向かって歩くことで、山が海を育て、海が雨となって山を潤す水の旅を”ひとしずく”となって追体験しているような感覚に陥っていた。
やがて聞こえてきた水音が次第に大きくなって前田川に出た。

大楠山の湧き水が集まった清流から成る3㎞ほどの川だ。生活排水が流れ込む場所がないおかげで純度の高い山の養分が海に流れ込んでいく。昔はごみを廃棄する人もいたそうだが、石や木を並べて遊歩道を作ったことで人が歩くようになり、大切にする心が醸成されていったという。エコツーリズムの意義を象徴しているような話だと思った。

身近な自然に見出す発見と感動
エコツーリズムというと国内でいえば屋久島の縄文杉とか高知県のホエールウォッチングなど飛行機で遠方まで足を運ばなければできないと思いがちだ。自然の少ない都会で暮らしていると特に。一方で、大量のCO2を排出して学ぶ環境の大切さに矛盾を感じるのも事実だ。エコツーリズムこそ、本来はマイクロツーリズムを、公共交通機関を使わないCO2排出量ゼロの旅を推奨するべきなのではないかと感じた。
マイクロ・エコツーリズム
徒歩圏内にある近場の自然環境や地域文化に発見や感動を見出す。環境負荷を抑えながら地域経済に貢献するサステナブルな旅のスタイルだ。
アスファルトの割れ目で命を繋ぐたんぽぽの逞しさなど、目を懲らせば身近なところにも多種多様な生命の物語があり、発見と感動がある。哲学や倫理学、社会学があり、人生論がある。生命の営みはそれらの学びを言葉ではなく、心で感じさせてくれる。

初めて一緒に登った大楠山で娘は何を感じてくれただろう。いつか人生の岐路で道に迷ったとき、今日感じた何かを思い出すことはあるだろうか。

そういう経験をより多くの子どもたちにしてもらうためにも、身近なこの自然を未来に受け継いでいかなければという想いを新たにした。旅するように暮らすこの町で。
2026年3月9日
種蒔く旅人Ⅱ
~2040、未来の君へ~
文・写真 青葉薫
夕陽が海に沈む三浦半島・秋谷。
15年前に都会を離れ、
この海辺のまちで
「食べるものを育てる」暮らしを手に入れた。















































青葉 薫
横須賀市秋谷在住のライター。全国の生産者を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」を上梓。本名で放送作家/脚本家/ラジオパーソナリティーとしても活動。日本環境ジャーナリストの会会員/横須賀市都市計画審議委員/横須賀市環境審議委員/株式会社オフィスクレッシェンド取締役
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