慈悲的性差別(ベネヴォレント・セクシズム)とは?差別と配慮の境界線を考える

慈悲的性差別(ベネヴォレント・セクシズム)とは

「慈悲的性差別(benevolent sexism)」とは、善意や親切心からくる言動が、実際には相手を傷つけることにつながる性差別のことだ。ベネヴォレント(benevolent)は「慈悲深い」「親切な」を意味する言葉であり、 「好意的性差別」とも呼ばれる。

慈悲的性差別は、「女性は守られるべき」「男性は強くあるべき」といった無意識の固定観念に基づいている。この考えは西洋の騎士道精神を背景とするレディーファーストにも見られ、一見すると「女性を大切にする」姿勢のように思えるかもしれない。

しかし、その根底には「女性はか弱い存在である」という前提が内在しており、性別による役割の固定化につながる可能性がある。このような無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)による性差別は、私たちの日常のさまざまな場面で見られる。

慈悲的性差別の具体例

慈悲的性差別は、一般的に広く知られていないバイアス(固定観念)の一種だが、じつは私たちの家庭や職場などの身近な環境で多く見られる。ここではその具体例を4つの場面に分けて紹介する。

日常生活

例:レストランやカフェで男性が女性の食事代を支払う

この行動は、一見すると礼儀や思いやりの表れとして好意的に受け取られがちだ。しかし、その背景には「男性が経済的に支えるべき存在であり、女性はそれを受け入れる立場にある」という固定観念が潜んでいる場合もある。

とくに、女性の経済的自立が前提とされていない状況では、「支払われる側」として扱われることに違和感を覚えたり、対等な関係ではなく依存関係を示唆されているように感じたりすることもある。こうした習慣が無意識のうちに続くことで、「男性がおごるのが当然」「女性は支払わないもの」という社会的なプレッシャーを生み、男女ともに選択の自由を狭める一因となる可能性がある。

相手を思いやって支払うこと自体が問題なのではなく、「おごることが当然」とされる文化や、それが性別による役割分担(ジェンダーロール)と結びついている点に留意することが重要なのだ。

メディアや広告

例:家庭用品の広告において、女性が主に家事をする姿が描かれる一方、男性は仕事や活動的な場面で活躍することが多い

このような描写は、「家事=女性の役割」という印象を強め、性別による役割分担を固定化する要因となる。多くの広告では、女性が「家庭を支える存在」として描かれ、対照的に男性は「外で活躍する存在」として表現されることが一般的だ。

その結果、女性がキャリアを追求する可能性が軽視される一方で、男性が家庭内の役割を担うというイメージは薄れがちになる。「女性は家事や育児を担うべきだ」という暗黙のメッセージを社会に浸透させ、無意識のうちに性別による偏見を助長する可能性があるのだ。

公共の場

例1:男性が女性の重い荷物を代わりに持つ
例2:男性が「お先にどうぞ」とドアを開け、女性が通るのを待つ

とくに海外でよく見られる場面ではあるが、これらは女性への礼儀や思いやりとして肯定的に捉えられるかもしれない。しかし、その根底には「女性は自分でドアを開ける必要がない」「男性は女性を優先すべきだ」といった無意識の思い込みがあると考えられる。

結果として、女性を「守られるべき存在」と位置づけ、男性が主体的に行動するべきだという固定観念を強化する可能性がある。このような振る舞いは、意図せず性別による役割分担の意識を再生産する一因となるのだ。

現代では、性別にかかわらず相手の状況やニーズに応じた配慮が求められる。「重い荷物を持つ」「ドアを開ける」といった行為も、性別ではなく、助けが必要な人に対して自然に行われることが理想的だろう。ジェンダーにとらわれない気遣いが、より公平な社会の実現につながるといえるのではないだろうか。

職場

例1: 「子供のいる女性」という理由で、責任の重い仕事を任せられない
例2:性別を問わず、介護中の社員には無理をさせないように配慮する

育児や介護を担う社員の家庭の事情に配慮して、柔軟な働き方を提案することは重要だ。しかし、時としてそのような配慮が必ずしもすべての社員にとって歓迎されるわけではないことも理解する必要がある。当事者は「ほかの社員と同等に扱われたい」「特別扱いされることで、周囲に対して気まずさを感じる」などの感想を持つ場合があるからだ。

このように、企業や上司は個々のニーズを理解し、配慮の程度やタイミングを慎重に判断することが求められる。

慈悲的性差別がもたらす影響

家庭や職場など、日常に深く根付いた慈悲的性差別は、私たちの意識や行動にどのような影響を及ぼしているのだろうか。

性別による役割の固定化

まず言えることは、無意識のうちに性差における役割が固定化されてしまうことだ。

「女性は家事や育児が得意だと決めつけられ、職場でもそのような仕事を割り振られる」「男性は『頼られるべき存在』と認知され、精神的な弱さを見せにくくなる」など、日々の言動の繰り返しによる思い込みの影響は大きい。

たとえば、「女性が『自分はリーダー向きではない』と思い込み、積極的にチャレンジしなくなる」「男性が『感情を見せるのは弱さ』だと考え、メンタルヘルスの問題を抱えても助けを求めにくくなる」というように、社会からの暗黙の圧力を受けることで、自己認識にゆがみが生じることがある。

女性のキャリア形成の機会損失

慈悲的性差別は、女性が教育や仕事上の目標を追求するよりも、家庭や子育てなどの人間関係を優先するよう促す側面を持つ。これにより、女性の能力や職業上のパフォーマンスに対する評価が無意識のうちに低く見積もられることが指摘されている。

「女性は繊細で守られるべき」「男性は競争社会で戦うべき」といった固定観念が職場に根付くと、女性は責任ある仕事やリーダー職に就きにくくなり、昇進や昇給の機会が制限される。その結果、女性自身も「自分にはできる」という自信や自己効力感を失い、キャリアアップへの意欲を削がれてしまう可能性がある。

「無意識の差別」の温存

慈悲的性差別は、表面的には親切や配慮として機能するため、その背後にある差別意識が見えにくくなるという問題がある。敵対的な表現や態度を伴う「敵対的性差別(hostile sexism)」と比較すると、とくに恋愛の場面において男女ともに支持されやすく、社会的にも受け入れられやすいという側面もある。

「女性は守られるべき」という考えが、女性の政治参加や意思決定の場からの排除に繋がり、「男性がおごるのが当たり前」といった価値観が、女性の経済的自立の妨げにもなり得る。性別による不平等が正当化されることは、社会構造のアップデートが遅れることにも直結するのだ。

まとめ

悪意ではなく親切心のように見えることから、性差別として問題視されにくい慈悲的性差別。これらの影響を踏まえ、私たちにできることは何だろうか。

もっとも重要なのは、自分の無意識のバイアスに気づくことだ。慈悲的性差別は、私たちの何気ない言動の中に潜んでいることが多い。自分自身の考えや発言を振り返り、それが本当に公平なものかを問い直すことが大切だ。周囲との対話を重ねながら、小さな変化を積み重ねることで状況を少しずつ改善していくことができる。

慈悲的性差別は好意的とも見なされやすいため、社会で無自覚に許容されてしまう側面がある。自分の言動が、じつは個人の能力や意見を軽視していないか。ジェンダーに応じて「このように振る舞うべきだ」「こう生きるべきだ」という思い込みをしていないか―私たち一人ひとりが、日常の小さな場面で問いを立てる意識を持つこと。その心がけが、より公平な社会への変革の一歩となるだろう。

参考記事
男女共同参画に関する国際的な指数|男女共同参画局
男女格差とダイバーシティ社会への移行|公益社団法人 日本心理学会
職場の男女差別でよくある例と女性差別への対応方法|弁護士法人浅野総合法律事務所
Benevolent and Hostile Sexism in Social Spheres: The Impact of Parents, School and Romance on Belgian Adolescents’ Sexist Attitudes|Frontiers in Sociology

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ともちん
フリーランスのライター。学生時代より海外留学やヨーロッパ一人旅を経験し、丁寧な暮らしと日本文化の魅力を再発見。「素敵な暮らし」や「地域の魅力」をコトバにして伝えることで、社会に希望を届けることが目標です。旅や地方創生、暮らし、アート、伝統文化、心理学などに興味があります。